1: 幕末まとめ 2018/01/07(日) 14:19:24.06
天保11年(1840年)薩摩の国。西郷小吉(渡邉蒼)は、大久保正助(石川樹)ら町内の仲間と学問や剣術を切磋琢磨(せっさたくま)する日々を過ごしていた。
「妙円寺詣り」という藩最大の行事で小吉たちは一番乗りで寺に到着。
褒美をもらい薩摩藩の世継ぎである島津斉彬(渡辺謙)と運命的な出会いをするが、小吉らに恨みを持った他の町の少年から刀で肩口を切られ、小吉は二度と剣が振れなくなってしまう。

http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/livenhk/1515287800/
246: 幕末まとめ 2018/01/07(日) 20:05:04.58 
黒木華はよく武士の妻になるな 

99: 幕末まとめ 2018/01/07(日) 20:04:16.54 
黒木華 大河で出世したな 

110: 幕末まとめ 2018/01/07(日) 20:04:19.64 
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356: 幕末まとめ 2018/01/07(日) 20:05:33.64 
>>110 
最後のはaaになるだろwww 

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1: 幕末まとめ 2018/01/02(火) 10:21:30.14 _USER9
1

260年あまりにわたった徳川幕府の世に終わりを告げ、明治維新に向かう戊(ぼ)辰(しん)戦争の緒戦となった鳥羽伏見の戦いが起きたのは、大政奉還翌年の慶応4(1868)年1月。今年の正月、日本史の転換点からちょうど150年の時が流れる。近代国家建設を目指した新政府軍と旧幕府軍がにらみあった激戦の地(現・京都市南区、伏見区)は今、どのように変化し、痕跡を残しているのか。霊山歴史館(同市東山区)の木村幸比古(さちひこ)副館長(69)とともに訪ね歩いた。(池田祥子)

■伏見

 「明治維新は、王政復古の大号令と、段階的に新国家像を描きながら進んだ改革。戦いは日本の平定に必要な前哨戦だった」。当時の事情に詳しい木村氏が、改めて鳥羽伏見の戦いの意義を語った。

 正月早々4日間にわたった戦いは、鳥羽と伏見の2つの地が舞台となった。城下町として栄えた伏見では、御香宮(ごこうのみや)神社に陣取る薩摩軍と、南約50メートルの伏見奉行所に本陣を置く旧幕府軍がにらみ合った。

 伏見の戦の端緒は、1月3日、北西約3キロの鳥羽・小枝橋で薩摩兵が放った1発の銃砲だった。奉行所にいた旧幕府方の新選組副長、土方歳三も銃声と閃光(せんこう)を確認したという。火ぶたが切られ、激戦が続いたが、薩摩軍が撃った砲弾が奉行所の火薬庫に命中し、大爆発した。

 この砲弾が放たれたのは、同神社東側の高台。眼下には現在マンションが立ち並んでおり、奉行所があった場所は視界から遮られているが、木村氏は「かつてはしっかりと奉行所が見渡せたはずだ」と思い巡らせる。広大な奉行所跡は明治以降、旧陸軍が所有し、現在は市営桃陵(とうりょう)団地に。敷地からは薩摩軍のものとみられる砲弾も見つかった。

近くの料亭「魚三楼(うおさぶろう)」の表の格子には、生々しい当時の銃撃戦の弾痕がある。この戦乱で伏見の街の南半分が焼失したが、この店は運良く免れ、同神社の杜とともに往事をしのばせる。

 4日、明治天皇の命令を受けた仁和寺宮嘉彰親王が征東大将軍になり、5日に新政府軍は「錦の御旗」を掲げた。旧幕府軍は兵力では圧倒していたが、たちまち「賊軍」となり、勝負は決した。

 「新政府軍だけでなく、徳川慶喜も、おそらく大政奉還の先に新たな国家を見据えていただろう」。木村氏はそう推察し「世界地図を念頭に新しい国を生み出すために、明治維新は避けては通れない道だった」と語った。

■鳥羽

 鳥羽の戦いは、城南宮周辺で起こった。木村氏は、境内にある文久元(1861)年建立の石造りの鳥居を見上げ「戦の一部始終を見ていただろう」と思いをはせた。

 慶応4年1月3日、新政府軍は城南宮から小枝橋に続く参道に陣を構え、旧幕府軍と長時間対峙(たいじ)した。

 突如、小枝橋で薩摩兵が挑発のため撃った一発で戦いの幕は上がった。

 〈鳥羽一発の砲声は、百万の味方を得たるよりも嬉しかりし〉

 北に約3キロ離れた薩摩軍の本陣、東寺(南区)の五重塔から遠眼鏡で状況を見守っていた総指揮官の西郷隆盛は喜んだという。「倒幕が目的だった西郷としては、戦が勃発したことで旧幕府軍を朝敵として討てるという大義名分ができた」。木村氏が説明する。

城南宮の西350メートルの小枝橋周辺。木村氏によると、戦後は田畑が多かったが、現在は住宅や工場が立ち並び、西郷がいた五重塔も見えない。150年前の記憶は、小枝橋近くと鳥羽離宮跡公園にある石碑のみに刻まれている。

  


 鳥羽伏見の戦い 王政復古の大号令の後、将軍家の領地返納を強行採決した薩長両藩に対し旧幕府側が1万5千人で挙兵。大坂から京に進攻し、両藩兵ら4500人が迎え撃った。慶応4年1月3日、鳥羽と伏見で衝突したが、「官軍」となった新政府軍が旧幕府軍を圧倒し、6日に戦が終わり、徳川慶喜は江戸へ逃れた。

http://www.sankei.com/west/news/180102/wst1801020009-n1.html


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1: 幕末まとめ  2018/01/05(金) 13:18:19.74
1

大河ドラマ『西郷どん』が1月7日に初回放送を迎える。
林真理子氏の人気原作を、脚本家の中園ミホ氏がどうアレンジするかに注目が集まる。

そんななか、さっそく原作にはない衝撃展開が待っていると、NHK関係者が明かす。

「20代の西郷が、薩摩藩主・島津斉彬(渡辺謙)を裏切り、
斉彬の娘・篤姫(北川景子)との逃避行を決意するんです。
原作でも史実でもこの頃、篤姫との絡みはほぼなかったはずなので、台本を読んで驚きました」

ドラマでは身分の差もどこへやら、西郷が江戸の藩邸勤めになると篤姫との親交は一気に深まる。
斉彬の悲願であった13代将軍徳川家定(又吉直樹)との結婚に思い悩む篤姫。
そんななか発生した安政の大地震で、西郷は余震も収まらぬなか篤姫を探しに行く。
無事を確認した矢先、大きな余震が発生。
落ちてくる瓦礫から守るため、西郷は篤姫の上に覆い被さる体勢に。

すると、篤姫が西郷を見つめ、
「西郷、一緒に逃げよう」「このまま私を連れ去ってほしい」と囁くのだ。
https://news.infoseek.co.jp/article/postseven_640721?ptadid=


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1: 幕末まとめ 2018/01/02(火) 07:35:44.82 _USER9
1/1(月) 13:05 産経新聞

大河「西郷どん」1月7日スタート 鈴木亮平「今年1年はささげるつもりで」

 NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」が7日、スタートする。
原作・林真理子、脚本・中園ミホという女性陣が描く西郷隆盛を演じるのは鈴木亮平(34)。
多くの日本人がこれまで持つ西郷像とは一味違う、新たな西郷を見せてくれそうだ。(兼松康)

 「走って、汗かいて、泣いて、笑って、叫ぶ。エネルギッシュな西郷が描かれています」

 西郷隆盛に抱いていたイメージといえば、「どっしりと構えて動じず、無口で男っぽい」というものだった。
多くの日本人が抱くものとそう変わらないといえるかもしれない。だが今年1年は、とにかく涙もろく、よく泣く西郷を演じる。

 これは自身が感じる西郷の魅力にもつながる。その魅力は“共感力”。「目の前にいる相手の気持ちになれる力が高い。
相手の痛み、喜びを自分のことのようにとらえる」といい、相手が困っていれば泣き、喜んでいればともに喜ぶ西郷の姿を、1年を通して画面で見ることになりそうだ。

 以前から、「大河ドラマに出たい」と公言していたが、「思っていたよりも早いタイミングだった。びっくり」と明かす。
さらに「共演者は大先輩や第一線で活躍する方ばかり。毎日刺激をもらい、“師匠”らに代わる代わる自分を引き上げてもらう感覚は、大河でしか味わえない」と喜ぶ。

 共演者の中でも、島津斉彬役の渡辺謙(58)は別格だ。役柄とも相まって「普段緊張することはあまりないけど、さすがに緊張しますね」と打ち明ける。
鈴木が見た渡辺は「すごくストイックで、背負っているものや経験している重みが違う。目力もすごい」。世界のひのき舞台で活躍する先輩俳優への敬愛を隠そうとしない。

 今回の主演にあたり、渡辺が主演した大河「独眼竜政宗」(昭和62年)を見直した。
政宗が父・輝宗を犠牲にして敵を討つシーンで、「その緊迫感や漂う本気度にすごく感銘を受けた。その本気度を全ての話で一度は出していきたい」と感じた。
「大先輩だし、敬愛する相手であるからこそ、肩を並べるつもりで行ったら負ける」と“渡辺超え”を果たすつもりで臨む。
「大河の偉業や技を勉強するのが僕らの義務。なるべくたくさん吸収して、年を取ったときにはそれを伝えていかなきゃならない」と主演の役割もしっかりと認識している。

 「西郷さんという歴史上の人物が、しばらく自分のイメージになる。今年1年は『西郷どん』にささげるつもりで、演じるだけでなく、西郷どんとして生きたと感じられたらいいな、と思います」。
その目が日本の将来を見据えた西郷隆盛のそれと重なって見えた。


「西郷どん」で、相撲をとるシーンも印象的に演じている鈴木亮平。この勢いで大河主演の1年を突き進む(春名中撮影)(写真:産経新聞)
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180101-00000526-san-ent


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1: 名無しさん 2017/12/02(土) 05:32:51.46 _USER
平成29年は大政奉還から150年、30年は新政府軍が倒幕を果たした鳥羽伏見の戦いから150年という節目の年が続く。
これを受け、旧幕府軍の拠点・伏見奉行所に着弾した大砲の不発弾が今月、京都市考古資料館(上京区)で初めて公開された。
オランダから伝わった大砲から発射されたとみられ、
史実通り奉行所が大火災を起こしたことを物語る焼け土とともに出土した生々しい〝物証〟だ。
そこで約260年続いた徳川幕府を破る歴史の大転換となった戦いの一端を、この砲弾からひもといてみた。

〈薩摩藩が撃った?〉

 砲弾は赤茶色のさびで全体が覆われているものの保存状態は比較的良好で、
てっぺんには信管と思われる木製の栓が装着されているのが見て取れる。

 オランダから伝わった12ドイム臼砲(きゅうほう)の弾とみられる。臼(うす)のような形が名前の由来。
ドイムは同国の長さの単位で、センチと同じ長さ。12は口径の大きさを示す。

 砲弾は直径11・8センチで口径とピッタリ。中空の半球を2個継ぎ合わせているので中は空洞だという。
前田義明館長は「そこに火薬が詰められたはずで、まだ火薬は残っています」と説明する。

 この砲弾は平成元年、京都市伏見区内の市営住宅建設に伴い行われた発掘調査で見つかった。
奉行所跡を示す石碑が立つ近くで、当時の奉行所西端の石垣あたりに該当するという。

 調査を担当した関西文化財調査会の吉川義彦代表は「普通なら地面にたたきつけられた瞬間に爆発を起こすはずなのに、
地中に30センチほどめり込んだ状態で止まっていた。どうして爆発しなかったのかは分からない」と首をひねる。

画像:展示された12ドイム臼砲の不発弾=京都市考古資料館
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続きはソースで

産経新聞
http://www.sankei.com/west/news/171124/wst1711240002-n1.html


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1: 名無しさん 2017/12/18(月) 07:11:24.86 _USER9
http://www.asahi.com/articles/ASKDK5CVJKDKUTIL01C.html

 日野市の高幡不動駅周辺で17日、いずれも幕末に活躍した土方歳三と坂本龍馬の親族の子孫2人が、一緒に街のごみ拾いをした。土方は新選組副長で佐幕派、坂本は志士で倒幕派と立場は大きく違ったが、約150年の時を超えて、きれいな街づくりに一役買った。

 参加したのは土方歳三の兄の子孫で、市内にある土方歳三資料館で館長を務める土方愛(めぐみ)さん(46)と、坂本龍馬の兄の子孫に当たる、中央大学3年の坂本龍哉(りょうや)さん(20)。ごみ拾いを通じた街づくりを手がける、中央大のサークルの呼びかけに応じたという。

 2人は初対面。あいさつの後、午前9時半ごろに出発。約30人が土方チームと坂本チームの二手に分かれて拾った。新選組の衣装を着た参加者もいて和やかな雰囲気で進み、終了後、坂本さんは土方歳三資料館を訪問。「歴史は立場によって見方が異なるので、各自の立場に立って見ることが大事ですね」などといった話を2人でしたという。

 土方さんは「かしこまらずに話せて良かった。お互いの歴史は理解しつつ、良いご縁を築いていけたら」。坂本さんも「幕末当時は敵対的な関係性だったと思うが、長い時間を超えて協力ができ、素晴らしいと思います」と話した。(川見能人)

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