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288: 日曜8時の名無しさん 2018/02/04(日) 20:04:16.02 
やっぱ思うんだけどさ、原作も脚本も女性だから、男を描くっちゅっても 
どうしても戯画化した感じでしか描けないのが、最大のネックだと思う。 

300: 日曜8時の名無しさん 2018/02/04(日) 20:09:27.91 
また直訴、何回目だよ 

309: 日曜8時の名無しさん 2018/02/04(日) 20:16:31.40 
これさぁ…… 

相撲ドラマだよね? 

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11: 幕末まとめ  2018/01/28(日) 20:11:50.54 
いくら何でも、中村半次郎の格好はボロボロ過ぎるだろw 

16: 幕末まとめ  2018/01/28(日) 20:16:00.55 
半次郎、着ているもんが汚いのは貧乏だから仕方が無いにしろ、顔ぐらは洗って来いよ 

18: 幕末まとめ  2018/01/28(日) 20:16:33.47 
>>16 
いも掘ってすぐに来たんだろう。 

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1: 幕末まとめ 2018/01/24(水) 05:37:06.58 _USER9
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https://this.kiji.is/328580358062982241?c=39546741839462401

 靖国神社の徳川康久宮司(69)が退任する意向を関係者に伝えていたことが23日、分かった。定年前の退任は異例。徳川氏は「一身上の都合」と周囲に説明している。徳川幕府15代将軍慶喜を曽祖父に持つ徳川氏が16年の共同通信のインタビューで示した明治維新に関する歴史認識について、同神社元総務部長が「会津藩士や西郷隆盛ら『賊軍』の合祀の動きを誘発した」と徳川氏を批判、波紋が広がっていた。

 明治維新のため幕府と戦って亡くなった人々の顕彰という創立の理念に絡んで発言した徳川氏が早期に退任すれば、来年創立150年を迎える靖国神社の合祀の在り方を巡る論議が活発化しそうだ。
4: 幕末まとめ 2018/01/24(水) 05:40:40.60 
いやならやめた方がいいだろ。 

11: 幕末まとめ 2018/01/24(水) 05:49:21.40 
神社内にもいろんな意見の対立もあるのでしょうけど 
徳川家の末裔が討幕した側の幕末の志士を祀る神社の宮司を務めてきただけでもすごいことだよね。 

16: 幕末まとめ 2018/01/24(水) 05:52:09.69 
>>11 
そういう人を宮司にした時点でこういうことになるリスクはあったよな 

18: 幕末まとめ 2018/01/24(水) 05:53:14.23 
>>11 
大政奉還で自ら政権手放した徳川慶喜は新政府 
に迎えられて公爵になってたんだから不思議で 
もない。 

引用元: ・【社会】靖国神社の徳川宮司が退任意向 明治維新巡る歴史認識で波紋...定年前の退任は異例

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28: 幕末まとめ 2018/01/22(月) 10:32:36.49 
弟が下痢だが薬を買う金が無い、よし家を売って金を得よう 
って吉之助がえらく軽く言ってたけどものすごく違和感あった 
いくら下級武士とはいえそんなことやすやすと出来るものなのか 

55: 幕末まとめ 2018/01/22(月) 10:38:01.94 
>>28 
薩摩藩自体がじゃんじゃん金を使って 
返せなくなったら踏み倒ししてるのだから 
あんなもんよ 

142: 幕末まとめ 2018/01/22(月) 10:52:40.79 
>>55 
藩がじゃんじゃん使ったわけじゃなくて幕府に御手伝ばっかやらされた苦肉の策が 
大阪商人からの踏み倒しや密貿易なんだよ 

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1: 幕末まとめ 2018/01/21(日) 15:36:01.00 _USER9
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180120-00050126-yom-ent

幕末の長州藩が1864年(元治元年)7月の禁門の変に敗れた後、奇兵隊の創設者・高杉晋作
(1839~67年)の切腹や斬首を検討していたことを示す文書が、山口県岩国市の市立博物館
「岩国徴古館(ちょうこかん)」が所蔵する長州藩岩国支藩の藩政史料から見つかった。

禁門の変後、第1次長州征討軍参謀の西郷隆盛は、長州藩に急進派藩士の処分を求めた。
当時、同藩では幕府に恭順する保守派が藩政を掌握。岩国領主・吉川経幹(きっかわつねまさ)は
幕府との調停役を務めていた。

晋作に関する文書は2点あり、一つ目は長州藩家老・志道安房(しじあわ)が64年11月9日、
征討軍の前線基地があった広島に向かう途中、岩国領に立ち寄った際の「手控(てびかえ)」。
藩の処分案が記され、晋作は「高杉和助」の名で「切腹之部」にあった。二つ目は、晋作ら
急進派7人の名が書かれた「斬首状写(うつし)」。「姦吏(かんり)と徒党を結び、上を欺き、
下を惑わし、君恩を忘れ、度々亡命すること不義不忠の至り」と晋作の罪状を挙げ、
「斬首被仰付(おおせつけられ)候事(そうろうこと)」としている。

引用元: ・【歴史】禁門の変のあと、高杉晋作の斬首を長州藩が検討。岩国で文書発見

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1: 幕末まとめ 2018/01/17(水) 18:11:53.75 _USER9
会津若松市に寄贈された会津藩士・山川浩の資料=会津若松市で
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福島県会津若松市に寄贈された会津藩士・山川浩の資料=福島県会津若松市で2018年1月16日、湯浅聖一撮影
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 会津藩士で「会津の知将」と称された山川浩(1845~98年)ゆかりの品が16日、会津若松市に寄贈された。戊辰(ぼしん)戦争勃発の一戦となった1868年の鳥羽伏見の戦いの敗走中、熱病にかかった山川を手厚く看護した和歌山県御坊市の中野家が所有していた資料で、会津若松市の担当者は「会津藩士が苦労して江戸の会津藩邸に帰還したことを具体的に表す貴重な資料」と評価している。今春に一般公開する予定だ。【湯浅聖一】

 山川は会津藩で家老を務めた山川家の長男。若くして家督を継ぎ、藩主・松平容保(かたもり)が京都守護職に就くのに伴って上洛した。戊辰戦争後は斗南藩で大参事となり、その後は陸軍少将、貴族院議員に、98年には男爵に叙せられた。

 戊辰戦争では、鳥羽伏見の戦いで会津藩を率いたものの、敗れて退却。藩士約1800人とともに紀州に落ち延び、小松原村(現和歌山県御坊市)にたどり着いたところで熱病にかかった。当時、紀州藩からは敗走兵をかくまわないように通達が出されていたが、中吉旅館の主人・中野吉右衛門の母でおかみのおこうが献身的に看護し、命を救われて江戸の藩邸に帰った。

 寄贈された資料は、山川が明治政府の役人などになっていた82~89年に中野家の恩義に報いようと、吉右衛門に宛てた感謝の手紙や九谷焼の大皿など9点。山川が学事巡視で和歌山に再訪した際に土産として贈った会津塗りのわんや、大水害時の見舞状などが含まれている。

 吉右衛門のひ孫にあたる中野健さん(64)=横浜市戸塚区在住=が、空き家となっていた実家を調べて発見。今年が戊辰戦争から150年になることから会津若松市への寄贈を決めた。中野さんは「親などからも聞かされていなかったので驚いている。ゆかりのある会津若松市と歴史を共有し、交流につながれば」と話している。

 市教委文化課の近藤真佐夫主幹は「会津藩が戊辰戦争で『賊軍』と言われたにもかかわらず、親身になって世話や交流を続けてくれたことに感謝したい。山川の資料は地元でも少ないので、今後資料を分析したい」と話した。市は4月下旬にも市歴史資料センター「まなべこ」で一般公開したい考えだ。

毎日新聞 2018年1月17日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20180117/ddl/k07/040/280000c?inb=ra


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