1
1: 日本@名無史さん
伊達の本家は宇和島です。明治政府認定済

20: 日本@名無史さん
よく言われることだけど、
明治以降は、宇和島は侯爵、仙台は伯爵。地位は、分家>本家となった。

伊達一門の集まりがあった時なんかは、気まずかったのかな?

88: 日本@名無史さん
>>21
旗本がみんな佐幕とは初耳だな。w
旗本にだって外様に分類される(てゆうか仮に石高1万以上あれば外様に分類される)ような家はたくさんあるだろ。

89: 日本@名無史さん
>>88
外様の旗本なんてありません。

90: 宇和島人
>>89
いったん1万石以下まで落ちれば、元々、外様大名でも譜代になるのが原則なんだよね。
譜代大名の立花家三池藩が外様の柳川の分家 とか不思議なことになるわけだ。

22: 日本@名無史さん
宇和島伊達の幕末の藩主、宗城は旗本の次男だよ。

爵位の差は戊辰戦争への功績だろ。

32: 日本@名無史さん
長州藩では士分でなかった大村益次郎を発掘して日本最初の国産蒸気船を
作り上げた奇妙な藩だったな。

ほぼ同時期に佐賀藩、薩摩藩でも完成させたが、宇和島は10万石の分際で
やってのけたとこがすごい。

藩主伊達宗城村田蔵六に命じてオランダの書物を翻訳させ、嘉蔵という提灯屋の男(前原巧山)を製造担当者として実験的な蒸気船を1857年に完成させている。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/蒸気船 

66: 日本@名無史さん
幕末に小藩ながら大広間詰めというのは凄いね。
松山を差し置いて伊予の国の準国主というのにも驚き。
愛媛は廃藩置県後は宇和島県だったんだっけ?

67: 日本@名無史さん
>>66
今の南予地方が宇和島県と呼ばれてたような記憶があるが、
記憶違いだったらスマソ。

157: 日本@名無史さん
宇和島行ったがしょぼい町だったぜ。あんなんで愛媛第2の都市だからな。
四国なんて田舎もいいとこだ。
1

159: 日本@名無史さん
>>157
宇和島が愛媛第2の都市・・・( ´,_ゝ`)プッ

165: 日本@名無史さん
>>157
荒みきった都会より、暖かい田舎の方が遥かにマシだ。

179: 日本@名無史さん
>>157
第2は新居浜じゃないの?

175: 日本@名無史さん
なんだかんだ言ったって、結局宇和島はクソ田舎で使いもんにならんのだよ。

176: 日本@名無史さん
使いもんにならなくていいも~~~~ん。
明治維新で活躍したのは宇和島。
でも、過去の栄光に浸って衰退してる。。。
せめて、地場産業が活気を取り戻したら。。。
宇和島ばんざーーーーーーーい!

204: 日本@名無史さん
藤堂高虎の時代はどうだったんだ?

藤堂 高虎(とうどう たかとら)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名伊予今治藩主。後に伊勢津藩の初代藩主となる。藤堂家宗家初代。

何度も主君を変えた戦国武将として知られる。築城技術に長け、宇和島城今治城篠山城津城伊賀上野城膳所城などを築城し黒田孝高加藤清正とともに名人として知られる。高虎の築城は石垣を高く積み上げることとの設計に特徴があり、石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。 

205: 日本@名無史さん
>>204
普通

213: 日本@名無史さん
二宮忠八 飛行機を発明したといいはる発明家で飛行神社神主 も宇和島領八幡浜出身
先祖は大洲藩士だけど浪人し八幡浜移住。
児島惟謙 も宇和島出身

児島 惟謙(こじま これかた、天保8年2月1日1837年3月7日) - 1908年明治41年)7月1日)は、明治時代の司法官。後述する大津事件の際には、大審院長として司法権の政治部門からの独立を守り抜き、「護法の神様」などと高く評価された。後に貴族院議員、衆議院議員、錦鶏間祗候

幼名は雅次郎、長じて五郎兵衛、あるいは謙蔵とも称した。「児島惟謙」は後述する脱藩を機に用い始めた仮の名で、児島はこれを終生用いた。名前は「これかた」以外にも「いけん」、「これかね」などとも呼ばれる。は天赦、は有終。 

374: 日本@名無史さん
おお、児島惟謙て愛媛出身だったのか。
 
232: 日本@名無史さん
宇和島って孤島かと思ってました

233: 日本@名無史さん
>>232
半分正解。正確には陸の孤島だな。
1
 

270: 日本@名無史さん
宇和島周辺の人達から見て予土線沿線住民への感覚ってどんなもんなんすか?
具体的に言うと西土佐村などの高知県との交流の事なんですが。
最近嫌な事件がありましが、その事が質問の主な理由ではなくて、昔から (宇和島~山村 の土佐)の
交通の主要をなしていた地域ではありましたが司馬遼太郎の本などによりますと
あまり仲が良くなかった等の記述が見られます。愛媛の友人は高知のことを余りよく言いませんし、
幡多郡出身の知人は「そう言われると、おばあちゃんは伊予の人は商売の仕方がセコい、とか言ってた」
なんて聞いた事があります。昔から仲が悪かったんですかね? 

271: 日本@名無史さん
>>270
さぁ?┐('~`;)┌
そんな話、はじめて聞いた。
宇和島が一番仲悪いのは松山だよ。

275: 日本@名無史さん
宇和島と松山が仲悪いってどうやって判断してるんだ?
わからん

278: 日本@名無史さん
>>275
松山とは、幕末に土佐藩と一緒に攻めて(実際は後方支援だが)以来、仲悪いよ。

373: 日本@名無史さん
関西人の俺が言うのもなんだけど、
バカだよな宇和島。
セカチューのロケ断ったらしいね。

伊達宗城という幕末屈指の賢候もいたし、
土居通夫や児島惟謙という才能を生んだ土地。

一回行ってみたいんだけど、
「花神」や、「街道をゆく」の世界は無いの?

375: 日本@名無史さん
>>373
> 伊達宗城という幕末屈指の賢候もいたし、
> 土居通夫や児島惟謙という才能を生んだ土地。


今の宇和島は、それらの収穫を終えた後の荒地。お茶で言えば出がらし。
まあ、薩長土肥も似たようなもんだけどもっと酷い。

378: 日本@名無史さん
>>373
セカチューの件については、原作者が「実在する街と関係付けたくない」という
理由があったとかなんとか聞いたけど。

404: 日本@名無史さん
司馬遼太郎さんが日本で一番好きな所は宇和島と長崎だったらしいね。
それが証拠に司馬家のお手伝いさんは代々宇和島の人を雇い続けた。

407: 日本@名無史さん
>>404
そうらしいね。
「街道をゆく」の宇和島に対する記述は実に温かい。
滋賀のことも好意的に書いてるね。

>>403
本当だったら凄いよ。
ガセでしょ?

411: 日本@名無史さん
百万石は大袈裟としても、
実質どれくらいあったんでしょうか。

412: 日本@名無史さん
児島惟謙の生家跡や銅像はあるのに、
土居通夫関連の史跡は全く無いの?

土居通夫 どい-みちお

1837-1917 明治-大正時代の実業家。
天保(てんぽう)8年4月21日生まれ。伊予(いよ)(愛媛県)宇和島藩士の子。維新後,司法官をへて明治17年鴻池(こうのいけ)家の顧問となり財界にはいる。以後大阪電灯,長崎電灯,京阪電鉄などの社長を歴任した。27年衆議院議員。28年大阪商業会議所会頭。大正6年9月9日死去。81歳。本姓は大塚。通称は保太郎,彦六。俳号は無腸(むちょう)。 

417: 日本@名無史さん
>>412
土居通夫は偉人じゃねぇからな。

424: 日本@名無史さん
宇和島藩主家は当初伯爵で後に侯爵に陞爵したと思ってたんだけど、俺の思いこみか?

427: 日本@名無史さん
>>424 
正解。
 
420: 日本@名無史さん
宇和島伊達は「公家なり」の家柄で、かつ「国主」クラスの待遇だったから。
色々な面で大藩と同等の扱いを受けていた。
石高について言えば実高は20万石にはとどかない程度ではないかな?

421: 日本@名無史さん
実質五万石

423: 日本@名無史さん
厳しく見ても15~18万石くらい。

宗城ばかり注目されているが、歴代藩主も味わい深い人が多いね。

426: 日本@名無史さん
あの長州藩が表石高の3倍の100万石だよ。
宇和島藩が表石高の10倍の実質百万石っていうのは無理がある。

428: 日本@名無史さん
『旧高旧領取調』では意外にもほぼ表高と一緒。むしろ端数レベルで10万石切ってる。
吉田領を足しても12から13万石くらい。つまり江戸時代を通してほとんど増えていない。
まあ、ほとんど山と浜だからそんなものか。

429: 日本@名無史さん
じゃ、幕末に活躍できたのは、
宗城の能力がよっぽど高かったのかな。

430: 日本@名無史さん
>>429
宗紀のお陰もあるんじゃない?

431: 日本@名無史さん
政宗公のおかげだっての

436: 日本@名無史さん
児島惟謙や土居通夫は坂本龍馬と親交を結んでいたらしいけど、
この2人が世に出るまでの活動って、どんなものだったんでしょうね。

438: 日本@名無史さん
>>436
朝起きて、飯食って、何かして、飯食って、夜寝た。

447: 日本@名無史さん
児島惟謙は脱藩してない。
土居通夫だけ。

448: 日本@名無史さん
>>447
そうなのかぁ、兒島は土居と違って脱藩してないのかぁ。
じゃあ、元治元年六月に「本年、天下の形勢尋常ならず、最早郷里に安逸の時ならざるをもって撃剣修行を口実として」上洛を目指して高松まで行ったものの断念し、
慶應元年四月に藩の目付西園寺公成と共謀して藩を脱し、
慶應二年三月に藩に四十日という期間限定の許可を得て大坂に行くも、帰藩は期間を大幅に超過した十二月で、藩から謹慎の命を受け、
同三年五月十日に宇和島を脱出し二十八日から京の三条木屋町下ルにある鹿子屋に潜伏したのは一体誰であろうか?

449: 日本@名無史さん
>>448
ありがと、勉強になった。

458: 日本@名無史さん 投稿日:2005/03/27(日) 09:36:30
宗城、土居、児島以外に幕末で活躍した人っているんでしょうか?

459: 日本@名無史さん 投稿日:2005/03/27(日) 10:40:35
>>458
松根図書、井関盛艮

井関 盛艮(いせき もりとめ、天保4年4月21日1833年6月8日) - 明治23年(1890年2月12日
藩主伊達宗城に仕え、安政6年(1859年)に山奉行、文久3年(1863年)に大目付役軍使兼寺社奉行を務め、後に藩命によって京都や長崎で政治工作にあたる。維新後は宗城に従って新政府に出仕して外国事務局や外務省に勤務、明治2年4月17日(1869年5月28日)に神奈川県知事に任じられる。神奈川県知事時代に伊勢山皇大神宮創建や横浜毎日新聞の創刊などの事業に関わった。明治4年(1871年)に宇和島県参事に任じられるが、赴任することなく同年のうちに名古屋県令に転じ、愛知県に改称後もそのまま県令に留まった。明治6年(1873年)に島根県権令に任ぜられ、翌年に県令に転じるが、明治9年(1876年)に退官して実業界に転じ、甲武鉄道発起人として東京-八王子間の鉄道敷設に尽力、また第二十国立銀行取締役、東京株式取引所肝煎頭取などを歴任した。人物写真の収集でも知られ、井関が所有していた勝海舟近藤勇木戸孝允高杉晋作岩倉具視伊藤博文らの肖像など、幕末から明治中期にかけての古写真230葉が、現在、東京都港区立港郷土資料館に収蔵されている。墓は東京の谷中霊園にある。 

460: 日本@名無史さん 投稿日:2005/03/27(日) 11:25:45
松根図書の名をアーネストサトウの「一外交官~」で見たことある。
優秀な人だったのかな。

461: 日本@名無史さん 投稿日:2005/03/27(日) 18:08:05
>>460
松根図書は、宗城・宗徳の2代にわたって仕えた宇和島藩家老。
主に財政、民政を担当し、用水路の修築や河川の改修を行なった他、海産物・紙・茶・蝋などの生産・専売を図り、藩内商人を長崎貿易に従事させ、それらの産物を取り扱わせた。
さらに、逃亡中の高野長英、村田蔵六らを招き、西洋兵学の教授や洋式砲台の建設を行わせた。英国公使パークスの来藩をも画策し実現させている。

462: 460 投稿日:2005/03/30(水) 08:28:26
>>461
有難う。凄い人物だったんですね。
前、宇和島に行った時、屋敷跡の碑が病院(名前失念)にあった。
松根図書の遺品が観られる博物館って無いんですかね?

468: 日本@名無史さん 投稿日:2005/03/31(木) 18:13:59
>>462
あと松根は、優秀ゆえに幕府から妬まれ、藩主宗紀は大老井伊直弼に内々に呼び出され、「貴藩の松根図書という家老は江戸に出さぬように」と言われたそうな。
また、土佐の山内容堂から宗城に宛てた手紙の中に、「いささかにても時運変革、大活眼を開かんと欲し居る者は、貴国の此の如く開け居り候儀羨望にたえず候。松根氏の力多きに居る想像すべき也」とある。

473: 462
>>468
詳しい解説有難う御座います。勉強になりました。

宗紀といえば、確か天赦園を作った藩主ですよね?
かなり優秀な藩主だったんでしょうね。

伊達博物館の松根家旗印は激しく見てみたいです。
本物の生首って・・・凄い。

ところで、松根家は本家(仙台)がルーツなんでしょうか。

476: 日本@名無史さん
>>473
そうです。宗紀は天赦園を造りました。
もともとは二代藩主宗利が寛文十二年に埋め立てて造成した浜御殿があったのですが、その南寄りの一角に文久二年隠居所造営の工事を起こし、同年十二月に潜渕館(明心楼、明治二十九年取り壊す)、記念館、春雨亭、月見亭が完成。宗紀はここに居を移し、南御殿と称した。
翌文久三年二月、時の勘定与力五郎左衛門に命じて庭造りに着工し、慶応二年に完成。ここを〔天赦園〕と名付けた。
この名は伊達政宗が詠んだ漢詩の一文、
「残躯天所赦(残躯は天の赦す所)」に由来する。

614: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/27(金) 18:35:54
私個人、幕末の宇和島藩は兎に角地味という印象しか無い。
人材不足といえばそれまでだが、伊達侯の血統と新物好きな
嗜好癖が突出して目立つくらいで、不気味に思えるくらいに
肝心な所属藩士の動向が皆目不明。
宇和島藩士分に、他藩藩士や草莽の志士に見られるような御
一新に掛ける使命感、内から溢れ出る熱い情熱、士分個人の
人間味などが感じられないのは何故であろうか・・・。

616: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 01:46:41
>>614
そんなことはないと思うけどねぇ。
土居通夫(通天閣を作った人)なんかは、坂本竜馬と親交があり、行動を共にしたぐらいの人だし。
まぁ、確かに他藩に比べて少ないわなぁ。
でも、大村益次郎や高野長英、西郷隆盛などを迎え、さらにイギリス海軍も招待したけどねぇ。
あと林玖十郎は西郷隆盛と共に、新政府軍の参謀を務めております。


615: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/27(金) 18:51:28
確かに藩士の動向は不明だが・・・・
でも、わずか7万石の小藩が幕末の舞台に出ただけでも凄いと思う。

スレ違いだが、名匠・伊藤大介を生んだ土地なんだね>宇和島

616: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/27(金) 18:51:28
>>615 
伊藤大介ではなく、伊藤大輔ですな。 
というか、それを言うなら、他にも色々いますがな。 
「民法の父」として名高い穂積陳重と、その弟八束。ジャーナリストや政治小説家として有名な末広鉄腸。 
大津事件をもとに、三権分立を訴えた大審院院長・児島惟謙 
別府温泉に地獄めぐりや、日本初のバスガイドを作り、また亀の井旅館の創業者でもある、油屋熊八。 
日本初の日刊新聞紙〔横浜毎日新聞〕を創刊した井関盛艮。 
奇抜な歴史観を持ってい、なおかつ与謝野鉄幹・晶子夫妻の仲人を務めた木村鷹太郎。 
挿絵画家として著名な高畠華宵(兄は宇和島市長・高畠亀太郎)。 
最近で言えば、『世界の中心で、愛をさけぶ』の片山恭一。 
その他大勢。


617: 日本@名無史さん 投稿日:2005/05/28(土) 21:54:22
へえー色んな人物を輩出してるんだね。

土居通夫は関西実業界のドンだし、児島惟謙も素晴らしい人物。

個人的には・・伊藤大輔が凄いと思う。
日本映画全盛期の中心的存在だし、傑作も多い。
ゾクゾクするような映像と演出で、未だ根強いファンも多い。

あと、メジャーリーガー目指す岩村も凄いねw

669: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/06(月) 01:14:09
ま、どっちにしろ仙台は英雄・政宗がいた大藩で、それ以降は尻すぼみ。
宇和島は物凄い小藩で大僻地なのに、幕末に活躍した特異な藩。

漏れは対岸の宮崎人だが、江藤新平繋がりで宇和島を調べたけど、
マニアックな幕末ファンにはたまらなく魅力のある藩だね。

671: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/06(月) 09:46:14
>>669
それが一つの藩だったらと思うと……すごいよな。


772: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/20(土) 18:09:28
宇和島蕃の家臣の子孫の私が来ました。

代々御典医を務める家だったそうで、幕末期には蕃費で大阪の適塾に遊学
そこでは、大村益次郎と机を並べたと聞いています。

その次の代で明治を迎え、伊達侯爵家の執事を務め
私の代に至っては、一般庶民です。

15年ほど前に、宇和島に行く機会があり、親族一同で宇和島藩の子孫の会みたいなのに出席しました。
ご家老衆の末裔が上座に陣取り、盛大な宴会だったと記憶しています。

773: 日本@名無史さん 投稿日:2005/08/20(土) 21:38:48
今日このスレを見つけました。
偶然にも、>>772さん同様、
自分の先祖も宇和島の出身で、藩の典医をしてたとか。
そのおかげで、維新後は子爵を貰ったそうです。
ただそれ以外は何も知りません。

関係はないと思いますが、不器男氏と同じ名字の者なので、
宇和島に縁があるのは確かだと思います。
まずは戸籍と除籍調べでもしようかと思います。

825: 質問あげ 投稿日:2005/10/16(日) 15:00:17
幕末期の宇和島の風俗のわかるサイトってありませんか?

827: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/16(日) 17:43:06
>>825
駅から南側フジも交差点から斜めに入ったコンビニ手前にピンサロ?
城の西側にソープがあったと思う。

830: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/16(日) 19:38:24
>>827
そもそも、駅から南フジまでの間に、コンビニなんて一軒もない。

831: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/16(日) 21:22:52
>>830
ローソン前のピンサロビルのことと思われ

829: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/16(日) 19:15:17
>>825
幕末期限定は知らないが、江戸からの風俗についてはわかるが?

834: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/17(月) 16:10:36
>>825
で、結局は何が知りたいんだ?

835: 825 投稿日:2005/10/17(月) 16:43:36
江戸後期の宇和島藩の武家の生活風習です。
南予地方の歴史博物館に聞いたらいいんでしょうか?

836: 日本@名無史さん 投稿日:2005/10/17(月) 20:18:17
>>835
後期限定はともかく、宇和島の風俗なら『宇和島吉田両藩誌』を読むか、『三浦家文書研究会』のサイトを見るとか、色々やりなさい。
博物館の職員だって暇じゃないんだから。



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