1
1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:14.77
謎の多い西郷さん
ラストサムライだったのか、ただのデブだったのか
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:16.00
侍だから幼少期に体は鍛えられてるだろ 
ご近所のただのデブとは違う
5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:19.00
斉彬の懐刀として気に入られてたらしいからな
斉彬急逝の訃報を聞き殉死しようとしたが、月照の説得で思いとどまった

月照とはその後、錦江湾で自殺未遂を起こして西郷だけが生き残ってる
強運の持ち主なのか、それとも浮力があるから死ねなかっただけなのか…

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:20.00
その頃はまあ普通隊形だったようです。
デブったのは二度目の奄美(沖永良部島)配流の時。

奄美の一度目は入水後、身を隠す意味で奄美行きだったのですが、
・桜田門外の変で井伊直弼暗殺死
・島津久光の中央政策に、京都に知己のいる西郷が必要
ってことで呼び戻されました。

鹿児島に帰った途端、
「斉彬公は神様のようなお方なのに比べると、
三郎(久光)は田舎者だから、斉彬公と同じことをしようだなんて思い上がりもいいとこだね」と

7: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:21.00
だが、沖永良部島から鹿児島に戻ったときはやせ細り、足も弱っていて歩けなかったらしい
となると、西郷がメタボを気にしだしたのは、その後の京都在住時ということになる

結局、久光とは最後まで仲が悪かったな
久光にしたら家臣にまでバカにされて屈辱だっただろう
いかんせん、兄が偉大すぎた

9: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:23.00
西郷隆盛を評価する時問題になるのは、過剰なまでの彼の英雄伝説と、
信仰と表現するしかない、薩摩城下士の彼への賛同支持をどう扱うかということ。

実際、入水の時も西郷の言動は芝居がかっており、実社会で本気で役者を演じたようなふしもある。

10: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:24.00
>>9
定説となってる「信仰と表現するしかない・・・彼への賛同支持」自体が、
本当にそうだったか怪しい、英雄伝説の一部かも知れないわけだよ。

「西郷さんの人望買い」という言葉が残ってることからして、当時の人たち(薩摩人含む)は
けっこう覚めた目で西郷さんを見てたかもな。

11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:25.00
写真すら残ってないから謎が多い人物だけど、実績や影響度を考えると無視できない存在だし…
確かに西郷の評価は難しいと思う

12: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:26.00
西郷隆盛の性格を言うと、人気取りが好き、大衆受けを狙うという、
現在の大衆政治家・テレビ政治家に近い部分が浮かんでくる。

出生は鹿児島市加治屋町、城下士としては下から二番目の下級武士の出ということになる。
子供の頃喧嘩の仲裁で右腕の腱を切られ、以後武芸は諦めたとのこと。
後ろで大人物然と振舞うことに神経を使い、城下士子弟の自治組織であった郷中の長となる。

この時期の伝説として伝わっているのは、
親戚であった赤山靱負が斉彬の藩主就任を工作し切腹させられた際、血染めの衣服を見て斉彬公の藩主就任を決意したとされるもの、
城山団地のところにあった寺で座禅を習ったということ、福昌寺に通って漢学を習ったということ、近思録の共同勉強会を開いて
後の薩摩藩西郷派というべき人物集団を形成したこと(精忠組)などが挙げられる。

城下士のリーダーであったこと、島津斉彬の藩主就任へ熱意を示していたことなどが評価され、島津斉彬の藩主就任と並行し、
西郷に薩摩藩江戸屋敷勤務及び庭方役(周旋工作員)就任が申し付けられる。彼の中央政界での経歴はここから始まる。

13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:27.00
人気のある太ったおっさん。

16: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:30.00
西郷さんは清廉高潔至誠の人

25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:39.00
西郷さんは高潔無私、義の人、誠の人、仁の人。

27: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:41.00
熊本城下を焼き払ったし武力を背景に偽造通貨と無理矢理交換させたし反乱参加者以外の民間人にとっては極悪人だと思うよ。
戦後も政府は薩軍作成の偽造通貨と円を交換することはしなかったらしいし。

29: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:43.00
鹿児島人でも西郷を冷めた目で見ている人は多いと思うけどな。
かといって郷土の英雄であることに変わりはないが。

30: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:44.00
問題点もありながら魅力のある人物で
福田和也も器量人として評価しているね

34: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:48.00
伊藤博文直話での伊藤の人物評は
大久保≧木戸>>>西郷、高杉

「西郷南洲は天稟の大度で、泰山の群峰を抜く趣があった。
そうして国を憂うる真情が深かった。徳望はさかんなものであったが
政治上の見識はというと、ちと人物より劣っていたかもしれぬ。
自分でも政府に立つことを嫌っていた。~略~
とにかく大人物であったが、むしろ創業の豪傑で、守成の人ではないようだった。」

まあ、大久保と木戸にはくっ付いてた時期があったし
明治政府を軌道に乗せる苦しみを共有したから
当然と言えば当然なんだけどね


36: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:50.00
討幕の原資になった奄美の大搾取もメディアでとりあげられることはほとんど無いね。
田舎の一藩にすぎない薩摩がなぜ最新武装の大軍を京に駐屯できたのか、
なぜ蒸気艦を幾艘も持てたのか、
不思議なことだらけなのに、幕末薩摩の飛躍を斉彬や西郷、大久保のマンパワーに帰趨させる上っつらの物語ばかり。

41: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:55.00
>>36
ふつうに日本史で習うぞ
中学の歴史資料集にあったくらいだから
奄美搾取→薩摩雄藩化→倒幕は常識レベル

39: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:17:53.00
倒幕後の具体的な国家建設プランを周囲に提示できなかったってのはよく言われるよね
だからわかりやすい征韓論に飛びついたんだろうけど

55: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:09.00
西郷に惹きつけられる人って、ようは実学が理解できないボンクラだよね
西郷を信仰してれば、
無能 → 実学に縛られない君子
みたいに変換できるんで。

あ、だけど西郷自身は実学を低く見る人じゃなかったと思う。

56: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:10.00
低く見てはいないし低く見たらいけないが、至上でもないんだよ。
維新を担って死んでいったような人たちはね。
上に立つものがあったってこと。
ひたすら農工商をやっていれば死ぬことはなかった。

58: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:12.00
西郷隆盛は日本の毛沢東で、文化大革命の代わりに西南戦争の頭目に担がれたように見えるな。

62: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:16.00
そういえば西郷隆盛を主役にした大河ドラマがないのが不思議だな。
坂本龍馬は早死にした平和主義者のイメージが刷り込まれてるし
明治の時代設定で維新雄藩の登場する、獅子の時代、跳ぶが如く、篤姫
ダブル以上の主役だったり、女性を持って来たり
まあ怨念背負ってるから頭悩ませどころだな
そのうち伊藤博文を暗殺するところが見せ場の義士が大河の主役張るって噂もあるが
実現してもおかしくない今の日本だよ

63: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:17.00
翔ぶが如くで十分だろ
西郷は幕末大河で一番登場作品が多い人物

68: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:22.00
西郷さんには君子の風格があった。大村や大隈のような才子には西郷さんの
偉大さがわからなかった。

69: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:23.00
>>68
宗教だね、こりゃ。

今でいうところの小沢だな。
信者の人数と信仰心はズバ抜けてるけど、そいつらがことごとく単細胞で無能だから
大勢力の割に勝負事には弱いっていう。

ただ、負けた後に、精神的には勝っていたとか闇の勢力の陰謀だとか
わけのわからないことを言って、信者がますます信仰心を強めるのが厄介だがw

75: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:29.00
てか、西郷の実像ってほんとわからんよ。
だいたいが司馬小説のイメージをそのまま受け継いでいるだけで。
だから実像を知りたいんじゃないの。

桐野にしたって司馬や池波正太郎の手にかかれば散々に書かれてるけど、
実物がどんな人物だったかなんて殆どわからんからね。
幕府のスパイを一人暗殺しただけで、人斬り半次郎に仕立て上げちゃうのが小説家。

もっとも司馬を全否定はしないが、俺は半信半疑のスタンス。

83: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:37.00
征韓論とか帝国主義そのものじゃん

85: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:39.00
>>83
朝鮮を開国させて日清韓同盟でで欧米の侵略に対抗しようとした西郷さんの
戦略が大久保や木戸や大隈には理解できなかった。

232: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:21:06.00
>>83
それは違う。西郷は自分が殺されたら攻撃しろって言っただけで、
征韓が目的ではない。

84: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:38.00
帝国主義も征韓論もべつにいいよ。
批判すべきは、勝算無いのに、行動することに価値がある、みたいな精神性だろ。
太平洋戦争でそれやって負けて、現代の我々は敗戦国という十字架背負わされている。
その源流が西郷と鹿児島士族にあると思うと、
今どき西郷祭り上げてる信者はキモいなんて言葉じゃ表せないぐらいキモい。

90: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:44.00
>>84
太平洋戦争おっ始めたのは東条しかり山本しかり米内しかり東北人だろ
西南戦争の時の西郷隆盛は郷土極右みたいな少壮薩摩人らに担がれただけ
半ば独立国状態のようになってしまっていた原因の一翼を担ってしまったことは否めないが

92: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:46.00
西郷さんを死なせたのは薩摩ナショナリズムに染まりすぎた人々なんだよ
晋どん、もうここらでよか…てのは義理も果たせただろうとかそういう意味でしょ
延岡で包囲されたとき死ぬつもりだったけど突破して鹿児島に戻るのを承諾したのはやっぱり最後に故郷に帰って死にたかったんだろうね

123: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:19:17.00
そこまでの賛美は不要。
本人は細心で偏執症であり、豪傑という評価は周囲に向けた演技に近い。
ただ、小説や演劇主人公のような向こう受けする行動を好み、自らを飾るためには自分の命も厭わなかった。

そのため、生還してくるたびに西郷吉之助は薩摩城下士の誇りと夢の象徴と化し、
彼の言動を神の啓示のように感じる集団が形成された。


城下士の中でも下級であった彼が、何故中央政界に進出出来たのかというと、
薩摩藩の武士の青年団とされる郷中を掌握していたこと、島津斉彬藩主就任前から強硬な斉彬派であったことの二点が挙げられるが、
島津斉彬の藩主就任に決定的な意味を持った調所笑左衛門による密貿易疑惑暴露について、
証拠入手に一定の役割を果たしたという憶測もある。

もっともこれは憶測の域を抜けるものではなく、斉彬藩主就任から程なく彼は江戸の藩邸勤務となり、
御庭役(外交折衝実務員)としての経歴が始まった。

最初の仕事は篤姫の将軍御台所就任であり、
薩摩藩今和泉家(藩主の親戚というより、藩主の血統を守るために代々藩主の弟を当主として迎えるような種類の家だった)の娘を
一旦近衛家の養子とし、近衛家の娘として将軍に嫁がせるという、本人にとっても周囲にとっても難事であった。

この際西郷は、朝廷の摂家筆頭である近衛家と面識が生じ、また京都で著名人と面会する機会が増えた。
この時思想的な影響を受けたといわれるのが藤田東湖とされる。彼の国防思想は島津斉彬の海防論とも一致し、
海防という見地から、世界と日本、統一されるべき日本という視点を彼に提供したとされる。

藤田東湖訪問時の西郷の記述
「彼の宅へ差し越し申し候と清水に浴し候塩梅にて心中一点の雲霞なく唯情浄なる心に相成り帰路を忘れ候次第に御座候」

127: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:19:21.00
123の評価が実像に近いんじゃないか。
崇拝する人たち含めて実行力はあっただろう。
ただ、この一派の実行力の源泉は、自分たちに論理性や構想力が無いゆえに、声がデカければ勝つ、みたいなことだからな。
西郷ファンとかも同じ。
論理が無いから、情に訴えるという、一種の粉飾。
こういう人たちがいてもいっこうに構わないけど、
賛美するのは滑稽。

131: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:19:25.00
司馬のせいで巨大なキンタマの人ってイメージが最初にくる。

188: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:20:22.00
バカだな~
人気って時代によって変わるんだよ。

戦前から昭和30年代までは西郷や桂小五郎が圧倒的に人気あったらしい。
現代の人気って、ドラマや小説で究極に格好良くデフォルメされた虚像に対してだから、
土方も坂本も実物はそんな魅力的な人物ではないはず

189: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:20:23.00
土方や坂本は実物も相当魅力的だったと思うぞ
魅力が無ければフリーであそこまで頭角出せるはずない

逆に西郷は女にモテた話しとかまったく無いよなw
いや、薩摩人自体にそういう話しが全く無いw
現代の鹿児島人もそうだけど、座右の銘は不言実行とか言う奴が一番嫌われるw
言った時点で不言じゃねえだろって、鹿児島以外の人はみんなそう思いますw

190: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:20:24.00
たしかに西郷が女にもてたって事実は聞いたことがないな
土方や坂本が女にもてたって事実も聞いたことがないw

言ってることがまるで根拠不明ですw
まさかソースは小説とか抜かすんじゃねぇだろな?

205: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:20:39.00
>>190
嫁が3人もいて子沢山なんやらかモテたと言っていいであろう

それに比べてお前らときたら・・・

458: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:24:52.00
西郷みたいな人は現代人には不思議な点が多すぎて誤解を受けるかもな
勝海舟なんかはしきりに西郷を大物だと言っていたが、当時と現代では価値観が違いすぎる
また、細かく日記をつけて後世に罵られないよう気をつけてた長州人タイプと、
事に臨んで言い訳一つしない薩摩人タイプでは、前者のほうが理解されやすいだろう


ちなみに勝の人物評によると、
西郷>大久保>>>木戸>>>>>>>>>>>伊藤・その他
勝は何だかんだ言って薩人贔屓なのです

468: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:25:02.00
神武創業の昔まで戻れば徳川300年の歴史どころか武家政治も吹き飛んでしまう
創業時に戻るわけだから既存階級はぶち壊して新たに何でもできる
まあ考えたものだよね

王政復古を建前にしているけど、それ以後の変化を見るとあれは革命かと

469: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:25:03.00
倒幕自体は革命ではないな
政権が徳川家から薩長らに移っただけで

革命らしいコントラストは維新を通してあまり無かったと思うが、
しいて言えば、西南戦争で百姓階級の鎮台軍が、薩摩士族を討った瞬間が、階級がひっくり返ったまさに革命だったかも

470: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:25:04.00
なにも倒幕だけ明治維新の全てではないし、序章にすぎない

とくに廃藩置県は徳川では構想はあっても実行は難しかったであろう
薩長は倒幕の勢いで断行し、まったく抵抗にあわず上手くいきすぎて
インパクトが薄い向きすらあるが、実は封建体制を根底から突き崩した大革命
これなしに近代国家として生まれ変わるための計画は何も立てられなかった

西南戦争はじめ士族の反乱を明治政府が打ち破ったのは、
むしろ維新の完成と見るのがふさわしい

655: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:28:09.00
幕末の政略と、下野してから西南戦争までの事績に差がありすぎて、評価が難しい人だね。

結果論として、人の上に立つ能力はあったけど、使う人の能力を見定める能力がなかったから、
幕末は上手くいったけど維新後は登用する人間を間違えて失敗した。
技術者としての能力は、戦争指揮官としても行政家としても有能でなかった、ぐらいしか導けない。

657: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:28:11.00
もともとが能力買われたというより、体格や目力みたいなルックスから来るカリスマ性で
持ち上げられていった人でしょ西郷は

667: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:28:21.00
明治天皇って和歌を数多く詠まれ
そのどれもが心にくるものがある
特に京都を懐かしんだり、想いを馳せるものとか
西南戦争で力尽きた西郷に対して詠んだ歌もあるよね

50: 名無しさん@お腹いっぱい。 2012/04/07(土) 22:18:04.00
新時代を作ったトップだけど、本人は限りなく前時代的な性格
ラストサムライと言われる由縁