1
1: 半藤百害 投稿日:2010/09/27(月) 22:57:25
薩摩のチクリなの? 土佐なの? 会津の指示なの?
手代木直右衛門とかつまんない。。。
2: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/28(火) 00:14:25
幕府。 
慶喜からの殺すな命令は間に合わなかった。

3: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/28(火) 00:29:40
つーか、実行犯とされる京都見廻組は会津傘下だし 
会津が大政奉還に大反対だったし 
内部からも証言も複数挙がっているし 

会津で間違いないと思うんだけど
4: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/28(火) 07:23:09
木戸が指示して実行犯は井上馨 山縣 伊藤みたい。
龍馬を切ったのは伊藤博文

8: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/29(水) 14:42:20
薩摩もあるかもよ?あ~単に”仕向けた”て意味でね
確かに西郷等上層部にはうけが良かったかもしれないが「他」はどうだったか・・・
桐野は一人(名忘れた)殺ってるからね。理由は「薩摩を知りすぎた」てな事で
現に現場に「九州訛り」な人物数人がいたって目撃もあるしね

新撰組・近藤捕縛時の擁護も、やつは真相は知らないから後回しでも・・・・
と考えていたのかもしれん

11: 日本@名無史さん 投稿日:2010/09/30(木) 14:14:22
>>8
>現に現場に「九州訛り」な人物数人がいたって目撃もあるしね
会津礼賛の自称研究家がソースも付けずにその趣旨の発言をし、その後逃げ回っているって話

13: 34 投稿日:2010/10/01(金) 16:19:12
幕府に大政奉還を勧めたのは、後藤象二郎だよ
そして、実際後藤は、幕府側から狙われてビクビクしてた時期がある

当時、幕府側から見て、竜馬なんか重要人物でもなんでもないと思うんだけど

15: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/01(金) 16:51:33
後藤象二郎は徳川慶喜に大政奉還を強く勧めたものの、
仔細は坂本竜馬に聞いてくれと言って、実際の折衝は坂本竜馬に任せた。

永井尚志は確認されているだけで三回、他の京都の幕閣にも折衝を行ったのは、
大政奉還の後藤への提案者である、坂本龍馬だった。

要するに、土佐藩が大政奉還に動いたのは坂本のせいであると
京都の幕府首脳は把握していたことになる。

>そして、実際後藤は、幕府側から狙われてビクビクしてた時期がある
いよいよ会津藩主松平容保による暗殺指令の疑いが濃厚というわけですな。

31: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/03(日) 07:46:09
薩摩は坂本の最後の避難地だし
(薩摩!と主張する説にはその実は根拠がない。)

32: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/03(日) 07:48:28
そして証拠を集め、動機を探れば探るほど、松平容保が犯人ということに。

35: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/04(月) 17:44:08
誰かが嘘をついてる
渡辺か今井か干城か慎太郎か玄蕃か勝か

39: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/04(月) 22:24:40
>>35
むしろ、毎日薩長の悪事を口を酸っぱくして叫び続けたのに、
坂本竜馬に関する事を質問されると、いきなり怒って席を立ってしまった
某元諸侯が何かを知っているような感じ。

41: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/04(月) 23:43:08
>>35
たしかに干城(と二日で死んだ慎太郎)って、なにかを隠すように多弁で
無理やり新撰組のせいにしたがっているような…。なぜ。

43: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/05(火) 13:05:43
谷の嘘・・・・
その1 中岡から聞いた話が最初から「嘘」だった
その2 「何らかの理由」で新撰組と判断。故に後の近藤捕縛~即斬首の決定に影響
     しかし、後日「別」の人物が名乗りを出てきたため、またまた改めて自説を主張「せざるを得ない状況」となる
     (近藤斬首時の”強引さ”をつっこまれるのを恐れたため)

45: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/06(水) 08:51:32
>>43
どこまでが中岡の口から出た話なのか
例えば十津川郷士とほんとに中岡が言ったのか
今では検証のしようがない
今井の子孫はムキになって松代藩士と名乗ったんだと主張してるが
刺客が二人玄関でそれぞれ十津川、松代と名乗ったとかんがえれば違い自体は突っ込んで検証しなきゃいけないことでもない

小太刀の名人の桂早之助の子孫が今もいるみたいだからこっちのほうにも、戊辰戦争前に伝えられた家伝とかないものかな

小刀だけでは寂しい

50: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/06(水) 21:02:18
薩摩陰謀説は信じがたいが、龍馬殺害を自供した今井を
西郷が働きかけて助命した訳がわからん。

692: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 18:11:35
>>50
そこだよな

697: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 22:14:46
>>692
西郷が今井ひとりごときを助命した事実などない

新政府に反抗した旧幕人の上から下まで概ね緩い罪状にするよう刑部省に働きかけてやっただけ

もう気骨のある奴なんぞ旧幕系には生き残っていないと判断したんだろうな

51: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/06(水) 21:07:21
>龍馬殺害を自供した今井を
>西郷が働きかけて助命した訳がわからん。

そんなの今井の子孫が言ってるだけで裏付けなんか全く無いじゃん
なんで事実という前提で語るの?
あと西郷がやってたのは榎本軍に対する寛典論だから
庄内藩なんかも同様

57: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/06(水) 23:20:37
>>51
子孫じゃなくて今井の証言だろ。
手代木直右衛門が命令を出して、見廻組が実行して、西郷が今井の刑期を
短くしたじゃだめなのか?

63: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/10(日) 10:00:14
慶喜は結局薩長は烏合の衆で日本を統治できないと踏んだからこそ、敢えて朝廷に大政奉還して見せたんだろ?
だとすれば、薩長の蝶番である坂本を消しておかなきゃ!w

65: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/10(日) 17:30:33
松平容保も松平定敬も大政奉還には大反対で、しかも京都見廻組は会津配下、手代木は会津家臣。
これで桑名藩主松平定敬が手代木に命じてやらせた、となると松平容保に罪をかぶせようとしたということになる。
何しろ、状況証拠は全て会津藩主松平容保公を指しているのだから。

しかも徳川慶喜の大政奉還への反逆行為だから、不忠もはなはだしい。
松平定敬は、手代木の証言を全面的に信用するなら、実の兄を陥れようとした大悪人だな。

67: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/10(日) 19:21:54
赤松小三郎のように薩摩が暗殺したんだよ
この可能性が一番大きい

その次に可能性が高いのは小笠原老中
大政奉還に反発していたので、部下の直参を使って暗殺した

会津藩の可能性はこじつけだね
手代木は知ってはいたんだろうが、知ってるから犯人は早計だ

69: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/10(日) 19:30:45
松平容保の単独犯か、松平容保・松平定敬の共同主犯だね。
会津が暗殺命令者から外れることは、まずなさそうだ。

73: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/10(日) 23:43:23
松平容保(会津藩主・京都守護職)が命令、松平定敬(桑名藩主・京都所司代)の関与の可能性あり
実行者は見廻組(会津藩傘下)
動機は大政奉還への敵意

ということで、決まりですかね。

75: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 08:52:48
>>73
全く面白くないが1番まともな説
しかし、すると後藤象二郎も狙うつもりだったのだろうか
暗殺で誰がやったかわからないようにするなら土佐参政も殺しても問題はないだろう

容堂を容保が狙うことは所詮殿様同士だから有り得ないだろうが

後藤も狙われていたとおぼしき史料はないもんかね

85: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 17:02:13
>>75
後藤象二郎は後年、大政奉還直後から京都の旧幕府連中から命を狙われ逃げ回った、と回想している。
もっとも、これは大政奉還の功績が坂本龍馬にのみ語られることへの反発心で、自らも当事者という
主張があったのかもしれない。

74: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 07:27:53
常識的に考えればそうなんだがネットやテレビでは薩摩黒幕説で溢れかえってるのが現状
動機は推測に過ぎないし証拠なんか何も無いのにね
「一番得をした者が犯人」とか推理小説みたいなこと言ってるのも多い

77: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 09:07:42
【場面】
-薩長VS幕府の対立は英仏の代理戦争。
-龍馬(土佐)はその間で動いていた。

【登場人物】
龍馬(土佐)のシナリオ
 大政奉還→倒幕回避→徳川と薩長の大同盟┃→富国強兵(英仏を競合)→列強へ仲間入り
幕府(仏)のシナリオ
 大政奉還→倒幕回避→薩長分断→徳川復権┃→富国強兵(フランス主導)→列強へ仲間入り
薩長(英)のシナリオ
 幕府存続→武力倒幕→薩長幕府(明治政府)┃→富国強兵(イギリス主導)→列強へ仲間入り

【結論】
-倒幕(回避)、徳川と薩長の大同盟では薩長(英)に動機あり。
-薩長分断(徳川復権)では幕府(仏)に動機あり。

だが、薩長は武力倒幕後の利害調整役としての龍馬を必要としていたため、龍馬暗殺の動機は小さくなる。
また(日本より中国が欲しい)フランスは、植民地政策でイギリスほどロシアと対立していないため、幕府が勝てばラッキー程度に思っていたと思われ。
よって薩長同盟の黒幕で(日本との同盟でロシアの南下政策を何としても食い止めたい)イギリス、
薩長分断(徳川復権)を模索していた幕府に強い動機ありと見た。

91: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 19:03:45
>>77
GJ
会津が明治政府からやたら冷遇されたのは、案外、龍馬を殺された復讐からかもねw 福島県は国立大学設置も戦後になってから。
龍馬がいれば、新政府内の雄藩同士のゴタゴタも上手く調節してくれて、不平士族にも仕事を見つけてやって西南戦争なんか起こさせなかったろう。

78: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 10:38:13
後藤象二郎や岩崎弥太郎って、龍馬や龍馬暗殺について何も語ってないが、
何か真相知ってたんだろうか。

土佐藩って谷干城以外は龍馬の暗殺に淡白。
その谷はなぜか新撰組犯行妄信。後藤は近藤と知り合いだったのに。
だいたい近江屋も土佐藩邸と目と鼻の先。

79: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 11:06:17
>>78
上士の佐々木ナントカが医者を手配したり使いを出したり動いた気配があるな。
しかし葬儀は藩がからむのを土佐は拒否ったね。
龍馬は土佐藩士に復権してたのではなくて、藩のお尋ね者でなくなってただけ。

後藤象二郎は確かその時京都にいなかったんだよな
弥太郎も長崎にいたのかな

龍馬は幕府のお尋ね者だったわけだから二人の反応は、ついに殺られおったか、運がなかったなという程度では。
暗殺されなくても労垓や海難事故や切腹や戦争で死が身近な時代。

80: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 13:22:25
>>79
福岡某なんて素っ気ないし。
暗殺直前に2度も別宅に訪ねているのにだよ?しかも葬儀にすら参列しなかった。
遊郭通いばればれだったんで「後ろめたかった」とか??






・・・んでその子孫がTVで暗殺の件「あれは云ってはならんことだ」と云ったとか云わなかったとか?

90: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 18:54:50
京都に居たけど出てこなかった土佐関係者といえば、五箇条のご誓文を書いたあれでしょ。
暗殺を恐れてのことだと思うよ。
しかし明治以後は薄情扱いされて、日の当たるところから遠ざけられて不遇の生涯となった。

95: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 19:41:02
黒幕と言えるほど大そうなものではないが後藤が龍馬は近江屋との情報を
第三者を使って見廻り組にタレコンだ、言わば未必の故意
これが一番しっくりくる

97: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 19:46:06
>>95
半藤一利の「薩摩が竜馬の住所情報を教えたのだ、証拠はないけど」説の焼き直しにしか見えない。
実際は大政奉還への交渉時に、坂本龍馬は京都の幕府関係者と何度も面会し、住所なんか丸分かりだったのに。

しかも、命令者の松平容保や実行者の見廻組が暗殺を行ったということは、その説では全く消えない。

98: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 19:51:58
>>97
幕府関係者って大久保一翁だけだろ
少なくとも幕府首脳側で龍馬の顔と名前が一致してたのは数えるほど
見廻組実行犯説はもはや定説なんだしきっかけを作った(情報流した)のは誰かって言ってるんだが

99: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 20:05:17
永井尚志が少なくとも三回坂本龍馬と面会しているな。
他の京都幕閣も坂本竜馬の名と顔を覚える機会はあっただろう。

後藤象二郎は徳川慶喜へ再三大政奉還を要請したが、具体的な手順は坂本龍馬から聞くように言い、
彼を実際の交渉に当たらせていた。

そして、永井の屋敷は見廻組の隣なのだよ。
龍馬が幕府の役人の所に通うなら、見廻組にとっては住所は既知ということになる。

100: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 20:07:16
あ~永井もいたなスマン

>永井の屋敷は見廻組の隣なのだよ
それは初耳だな

101: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 20:11:00
当時の地図を見てみれば分かる。
京都所司代と見廻組、永井の屋敷は非常に近接している。
つまり、大政奉還時、京都における幕府の拠点に坂本龍馬は通いつめていた。

105: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 20:59:54
あれは偽装だったのかね?(下駄等の遺留品)

あれを新撰組の持ち物と断言したのは、
この坂本龍馬暗殺の後に、信じていた新撰組本隊から粛清(油小路の変)を受けて、
それまで尊王攘夷派と交流も無かったのに
彼らは新撰組と対抗できるから、と土佐藩・薩摩藩を駆け込み寺に使った、新撰組高台寺党の連中だ。

彼らにしてみれば、坂本龍馬への暗殺も新撰組のせいにしておいて、
自らの立場を坂本龍馬になぞらえて、保護を嘆願するんじゃないのかな。

つまり、土佐や薩摩に質問した相手高台寺党が、新撰組を犯人とすることに熱意を傾けた、ということ。

107: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/11(月) 22:56:24
下駄はそもそも証拠能力が乏しいのでは。
何故なら誰がいつ置いて行ったものか証言からは分からないから。
駆けつけた連中が草鞋にはきかえて置いて行ったものの可能性もある。
証拠能力があるのはむしろ刀の鞘。
殺人現場で鞘を置いて抜き身の刀を持っていくアホは犯人以外は流石にいないだろう。

114: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/12(火) 16:46:11
中岡は巻き添えなのか同時に狙われたのか、わからんぽ。 
まさか龍馬が巻き添えってことはあるまいが。

大久保利通の日記には中岡の名前しか出てこないらしいが、
武力倒幕派からすれば、中岡のほうが惜しい人ってことなのかね。

115: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/12(火) 17:23:42
中岡はたまたま遊びに来てただけでひょっとしたら実行犯は中岡が誰だか知らなかったんじゃないか?
幕府側にしてみれば中岡も龍馬と同レベルの謀反犯
知ってればトドメを刺すだろう

と オモタんだが顔を見られてるからどっちにしてもトドメは刺すだろうな
実行犯はかなり慌ててたか相当のマヌケか

123: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/12(火) 21:28:52
黒幕は松平クソモリって結論出てるわけだが

124: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/12(火) 21:45:23
>>123
その結論に至る史料は、このスレの何番目に貼ってあんの?

126: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/12(火) 23:04:03
>>124
史料は無し。状況証拠と関係者の後年の証言。
刑部省口書=今井供述でも命令元の氏名は明らかにされていない。
とはいえ会津・桑名・幕府黒幕説を主張するのに史料は不要だが、
それ以外の藩黒幕説を唱えるのには確固たる史料が必要。
だって見廻組は配下なんだからw

130: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 09:42:07
>>123
黒幕って言葉の意味わかる?
見廻組の実行犯説はほぼ確定してんだから命令者が松平ってことは小学生でもわかる
そのまんまやないかい
それじゃ白幕だろw

127: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 00:11:33
見廻組がやったんだから普通に幕府側の高官が指示出したんだよ常識でもの言えよタコ
薩摩が居場所を教えたとか頭湧いたようなこと言う奴がよくいるけどそれこそ史料が必要だな
まあ証言すら無いけどねそんなもん
出鱈目な理由ばかりダラダラ並べる薩長土黒幕説の可能性は万に一つも無い

134: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 10:32:19
>>127
直接命令を下したのは松平容保で間違いないが
薩と長とちらにも恩もあるが武力討幕潰されたって動機もあるな
そして土も、ずっと薩長に遅れをとってたが大政奉還建白で一躍表舞台に躍り出た
が、大事がすめばすべてを知る龍馬がなんらかの理由で邪魔になったかもしれないし
後藤は個人的な恨みもあった
とにかく幕薩長土すべてに動機はあったわけで
慶喜が龍馬を殺すなとの命令を下すのとほぼ同時に暗殺されたということと
殺害命令者が幕府親藩の会津、そして捕縛ではなく明らかに殺害指令
黒幕とはいかないまでも松平に働きかけたなにかがあったんじゃないか?
ってみんなで色々妄想するのがこのスレの趣旨だろw

128: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 00:34:04
いずれにせよ確証がないからああだこうだ楽しんでるのに、
品のない言葉で言論封殺する薩摩無垢無謬氏、こわいよ~。
気骨の判決とか志布志事件を思い出す。

131: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 10:03:02
幕府?  
   \
薩摩?―【松平容保(見廻組)→×龍馬】
   /
英国?

朝廷?
   \
義昭?―【明智光秀→×信長】
   /
近衛?

132: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 10:20:19
>>131
黒幕が薩長なら容保は裏切り者、英国なら容保は相当な策士w

145: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 15:15:22
薩摩「大政奉還で台頭してきた土佐がうざったいでごわすw
しかも薩長同盟に関与した小汚い武器商人が調子こいてるでごわすw
このハイエナがw
天誅を下すでごわすw
坂本やっちまったらびびって土佐もおとなしくなるはずでごわすw」
↓事件後
谷千城「こりゃ薩摩の仕業だろw
でも指摘したら幕府を倒すであろう薩摩の敵になっちゃうw
よし新選組のせいにしよっとw」

152: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 16:21:41
>>145
長州だって仕方なく味方にしてやったのに、土佐まで権力を欲しがったんだからそりゃやっちまうよな傲慢な薩摩の下級田舎侍は(笑)

161: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 20:39:16
大政奉還は既に成った。
その時点で龍馬は次の一手に動き出しているから、暗殺されたんだろ。

俺は会津で間違いないと思うけどねえ。

168: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/14(木) 00:28:20
>>164
「大政返上等ノコトヲ吾ガ藩ガ主張シ 其主人ト相成リ候ハバ 薩藩モ必ズ信用スベシ」
と坂本龍馬は言っています。

つまり、坂本にとって大政奉還は、幕府を政権から引き摺り下ろして薩摩の手助けをする、
薩摩に土佐を信用させる手段だったということになります。

170: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/14(木) 08:35:13
>>164
自ら統治権を返還した将軍には普通「アホか」って思うだけだろ。倒幕派なら「アホか(笑)」だし、佐幕派なら「アホか(怒)」と。

「偉いなあ」って思うのは、平和革命をビジョンとして持っている人だけ。龍馬とか勝海舟とか。
因みに会津は当然激怒。

166: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/13(水) 23:34:11
龍馬は薩摩から古巣の土佐に乗り換えたから、色々と内情を知ってる龍馬の口封じに薩摩は動いた。

197: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/15(金) 19:00:47
いろは丸の賠償金に関連した暗殺だろ?

198: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/15(金) 19:22:27
紀伊藩では実行者=京都見廻組と結びつかないのさ

199: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/15(金) 20:02:19
薩摩藩なんか問題にならないくらい誰もがうなずく動機があるのにスルーされ続ける紀州藩の影の薄さに泣いた

202: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/15(金) 23:44:56
198-199
カミソリ陸奥が、確信もなく復讐斬り込みするとは思えんしなあ。

天満屋事件(てんまやじけん)は、海援隊士・陸援隊士らが京都油小路旅籠・天満屋を襲撃して、紀州藩三浦休太郎を襲い、新選組と戦った事件である。 

204: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/16(土) 08:12:08
>>202
怒りと恐怖感の二つで冷静な思考能力を失ってたろう
三浦襲撃の拙さをみると
大村ますじろうのように大砲まで持ち出せとは言わんが、銃器武装はしていくべきだったろうな

343: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/23(土) 20:06:48
渡辺一郎の証言では密偵みたいなやつが嗅ぎまわり、近江屋を下宿にしていることを突き止めた、そうなっているな
この密偵は暗殺当日も龍馬が在宅という情報を実行部隊に伝えたそうだが
永井が佐々木只三郎にあの龍馬が訪ねてきおったぐらいのことは言ったかもしれない。
それで永井玄蕃の家を密偵が張って、竜馬が二度目に訪ねてきた時その帰り道をつけ、近江屋がアジトだとつかんだかもしれない。
とにかく龍馬は潜伏してた感じじゃないから、見つけやすかったろう

345: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/24(日) 04:40:14
>>343
永井は親龍馬ぜよ

344: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/24(日) 04:10:53
>密偵みたいなやつが嗅ぎまわり、近江屋を下宿にしていることを突き止めた

紀州、薩摩、土佐が密偵にチクったかも知れんぜよ

393: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/26(火) 15:45:34
実行犯の見回り組みが黒幕を死ぬまで明言しなかったのは言ったら相当ヤバイからだよね
薩摩に対しそこまで恩義があると思えんが

394: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/26(火) 22:39:42
それ以前に、見廻組関係者は戊辰戦争でほとんど戦死でしょ。
会津関係者は容保公に不利な話は出来ないし。

証言をしたのが、見廻組関係者の生き残りである今井と、
明治以降は田舎官僚だった手代木の、国政参加時代の一生の思い出としての告白だったわけで。

438: 日本@名無史さん 投稿日:2010/10/29(金) 20:58:04
京都霊山歴史館が実行犯として桂早之助を大きくフィーチャーしてるのは、刀とメンバー表の書きつけの提供を受けているからなのか。

611: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/20(土) 17:30:34
海援隊隊長と陸援隊隊長が同時に消されるっつうのは
土佐藩があやしいね。佐幕の容堂には目障りだったんじゃね。
龍馬を藩邸に匿わなかったし、暗殺後に後藤象二郎が龍馬について
何も語らんつーのはおかしくね?

土佐藩>幕府>京都守護職>見廻組 

612: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/20(土) 20:34:59
山内容堂が犯人なら、彼以外の土佐藩士全員を殺さねばなるまい。
彼以外の土佐藩は武装討幕に走っていたのだから。

613: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/20(土) 20:58:12
>>612
土佐藩は尊王討幕の土佐勤皇党を弾圧したじゃん?
山内家上士は徳川に恩があるんじゃね

614: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/20(土) 21:17:10
ところが、徳川慶喜の長州征伐失敗後、土佐藩では
薩長寄りの尊王攘夷姿勢へ藩論は急速に傾いてゆく。

坂本龍馬と後藤象二郎との和解もその過程にあった。
洋式兵術部隊を中心に討幕機運が高まり、後藤象二郎自身討幕挙兵を薩長に確約する事態となる。
(これは山内容堂が命令を行い、食い止めた。)

この時点では土佐藩では容堂一人しか、公武合体派はいなかった。
後藤は公武合体派ではなくなっていた。

616: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/20(土) 21:35:42
全く思い当たらない。
少なくとも、新おこぜ組(保守派)の人間もこの時期には武装討幕発言が見える。

陸援隊の中岡慎太郎はこの時期、乾(板垣)退助の土佐藩歩兵部隊との関係を強化していたようで、
乾退助自身、後には討幕のために土佐藩の命令を待たずに薩長軍に参加している。

公武合体論を唱えるものは、土佐藩から容堂一人を除いて一掃されていた。

617: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/20(土) 21:39:56
殿様である容堂の言う事は何でも聞く、政治に関心のない
忠義の上士が大量にいたんじゃね?

618: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/20(土) 21:43:17
忠義の宇宙人も突然降りてきたかもね

625: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/21(日) 11:27:16
容堂は討幕に反対じゃん
過激な討幕派の中岡、坂本を消したんじゃね
龍馬も討幕派と見なされたんじゃね
郷士で元土佐勤皇党だし容堂には目ざわりじゃん
そして殿様である容堂の言う事は何でも聞く、政治に関心のない
忠義の上士が暗殺工作をしたんじゃね

672: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/25(木) 00:04:43
近江屋には暗殺直前までに小僧がいたのは近江屋の主人も認めているのに
彼らの話って1つも出てないよな

674: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/25(木) 01:09:57
>>672
小僧って竜馬の使いで軍鶏買いに行った菊屋の「峯吉」の事かえ

彼なら軍鶏買うて帰って来たら事件が起こってて
慌てて白河土州藩邸内におった田中光顕の元に、「ただ今、坂本サンと中岡サンが、やられました」と、知らせにいったが。

676: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/25(木) 02:07:26
>>674
近江屋の主人夫婦だか家族は?

679: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/25(木) 21:57:51
>>676
暗殺者たちは女を使って近江屋に戸を開けさせたby渡辺篤
近江屋の小僧たちは二階にいたが屋根伝いに逃げて行ったby今井信郎
龍馬たちの部屋に小僧がひとりいたが子供なので逃がしてやったby渡辺篤
二階で龍馬と佐々木只三郎与頭とが言い争う声きいたby近江屋新助とみせかけて実はby菊屋峰吉

680: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/25(木) 22:03:11
>>679
渡辺も今井も書生の存在を言ってるんだよな
2人の話をまとめると書生は3人で1人は斬られて倒れ、
1人は机の下に頭隠して助かり、1人は追いかけられて外に逃げたという
斬られたのが藤吉、頭隠したのが峰吉、逃げたのが岡本では?と
言ってる人もいるがはたして

682: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/25(木) 22:32:08
>>680
そういう説と、刺客どもの眼に書生と映った者たちは単に近江屋のデッチたちだったという説がある

近江屋新助の話として、見廻組が来た時に屋内にいたのは龍馬慎太郎藤吉、それに近江屋夫婦とまだ小さいその子供たち二人、そしてデッチが何人かいたことになってた
ところが暗殺が始まり、やがて新助が見張りをかわして土佐藩邸に知らせに行く武勇伝部分になると
デッチ=小僧たちは話の中に一切出てこなくなる

はて?

しまいまで小僧たちは出てこない

685: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 00:03:38
近江屋は商家だし丁稚がいてもおかしくないのに
使用人の話が一切でないのがな
奥さんの談話もないし
ついでに岡本も下手したら自分も巻き添え食らってた可能性が高いのに
暗殺について話を残していないという

690: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 17:02:05
藤吉、名札を持って2階→名札を竜馬に渡す→藤吉階下に戻る
→暗殺犯3人を二階へ案内する→後を付いて行く暗殺犯→2階の六畳間辺りで斬られる
→バタリ→犯人八畳間に乱入→ 3人がかりで坂本、中岡を襲う→中岡が倒される
→3人がかりで坂本を襲う→坂本は34ヶ所の傷を受ける

じゃね?

691: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 17:52:08
「逃げた」藤吉を斬って、んじゃ近江屋(夫婦?)はなんともないの?な話
多分藤吉は「視られた」故の行動だろうが、そうなると近江屋には「視られなかった」て事だろうか

693: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 18:50:06
>>691
確か近江屋一家は気づいてたはず。
物騒な音がしていたので一家でガクブルしてたって
後年近江屋関係者が証言してた。

694: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 21:55:54
>>692
禁門の変で会津と薩摩は協力してる。
そのパイプを利用して薩摩が龍馬を会津に売ったんじゃね?
徳川を排除したい薩摩が徳川を残したい龍馬を売った
徳川慶喜が「土佐の策士が薩長の策士に負けた」と言ったらしいじゃん。

>>691
ホタエナ、はどうなるわけ?

698: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 22:20:41
>>694
ホタエナはね、近江屋主人が暗殺日とは別の、龍馬が元気だったころのワンシーンを、さも当日のシーンのように騙ってしまったものだろう

700: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/26(金) 22:28:43
>>698
ホタエナは籐吉殺害のときの音に対して言ったんじゃん

781: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/28(日) 01:07:56
西尾秋風は中村半次郎が龍馬を暗殺した説だったよな
流石にこれを信じてる人はいないだろう
しかし黒幕や実行犯の違いがあるにせよ谷(新撰組説)、田中(桂早之助か渡辺吉太郎)
西尾(中村半次郎)と彼らは龍馬は凄腕で殺されたんだと主張したかったのだろうか

783: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/28(日) 01:24:27
他藩の連中や草莽の志士まで参列する中で、
坂本や中岡と親交が深く、彼らの提唱した文にも近い五箇条の御誓文を書くことになる福岡が、
参列しなかった。

いくら生命の危険があるといっても、決まりの悪い失態であったことは間違いなく、
明治以後、彼には顕職が与えられないまま燻り続けて死んだ。

坂本の死については、後年の福岡は因縁はあるでしょう。
しかし谷干城より多くのことを知っていたとは思わない。

784: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/28(日) 01:40:02
>>783
死の真相を、ある筋から知っていたんだってよ

786: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/28(日) 02:19:12
福岡が何か知っていたことにしたいのかね
知っていたなら、谷に何故言わなかったのか、ということになる

気を引きたいだけの哀れな生涯を感じさせる言葉だよ

真相は、松平容保の胸の内

791: 日本@名無史さん 投稿日:2010/11/28(日) 18:28:59
結局、証拠を追う限りでは
松平容保(松平定敬と複数の幕臣も関与した可能性有り)が命令犯・佐々木ら京都見廻組が実行犯だな。

他の犯行説は、会津関係者が殺人現場で血まみれの服を着て血まみれのナイフを持って、
通りすがりの人間を指差して、あいつが犯人だと自己弁護をしているだけに見える。


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