1
1: 日本@名無史さん
昔からの文化とか秩序とか大事にしちゃうのだろうな、やっぱ。
ぱっと思考転換なんてできねーよ。あばー。


4: 日本@名無史さん
まあしかし、「勤王の志士」と言うものの大半は
ただのゴロツキだよ。
御用金名目でいきなり踏み込まれて金を巻き上げられたり、
天皇奪還の目的で京都の街に火をつけようってんだから、
庶民はたまったモノじゃねえぞ。西郷は幕府と戦争したかったが、
大政奉還で口実を失った。そこで、伊牟田尚平と益満休之助を江戸
にやって、幕府を挑発するために相良総三を暴れさせたのだ。
十分に金を支給された相良は、江戸で強そうな浪人屋ゴロツキにわざと
喧嘩を売り、そのあげくに相手に羽織りや金を与え、
「食えなかったら三田の薩摩屋敷へ相良総三を訪ねて来い」と言う。
すると、十中八九は訪ねて来た。薩摩屋敷の浪士は30~50人の徒党を
くんで富豪の家に押し入り、三千~九千両の大金を奪った。
これが薩摩屋敷の焼き討ちにつながるのだが。
京都では国元から「禁裏手入れ」と称して莫大な金を取り寄せ、
祇園・島原で豪遊したのだ。自分が遊ぶために勤王の看板を
かけている者が多かったとは、新撰組の結城無二三が
言っているぞ。勤王思想とは「勤王にも佐幕にも」当時の
常識。薩長が幼帝を取り込んで官軍を自称し、幕府に
モンクツケさせなくしただけ。

16: 日本@名無史さん
>ただのゴロツキだよ。
それを言うなら新撰組もかわんねーよ(w

24: 日本@名無史さん
「御用盗」に資金援助していた、という一事だけでも「佐爆」になりたくなる。

ちなみに賊軍となった我が故郷ではお年寄りは「維新」をいまだに「瓦解」と
いっております。
でもそういうところで苦労した人が頑張った結果、陸軍皇道派の首魁となって
日本を二度目の「瓦解」に追い込んでしまったところがどうにもならん皮肉。

漏れの先祖には戊辰戦争で斬首された人と東京裁判でA級戦犯・絞首刑と
なった人が揃っています…。

25: 日本@名無史さん
>>24
小説だが、一読をオススメ。
田宮虎彦(昭和31)「霧の中」新潮文庫
薩長の官兵に肉親を陵辱・惨殺された旧幕臣の遺児が
日本の強大な新権力を仇とねらい、激しい復讐心を秘めながら
落魄流浪の剣士として、明治・大正・昭和を生き抜くという、
凄惨な人生の裏街道を描いた小説。

小説家・榊山潤は義父・佐倉強哉(元・二本松藩士)について、
こう述べている。
この人(佐倉)が大戦後まで生きていたら、
薩長ついに倒る、とほくそ笑んだかも知れない。
私はそんな空想に動かされる。

26: 日本@名無史さん
>>25 そうだねえ……佐幕というか、元幕府関係者の時代に対する価値観
って知りたいなあ。特に十五年戦争とか。

27: 日本@名無史さん
まーな常識人は、砂漠人だろうな。
無知蒙昧な人、現実に猛烈に不満がある人なんかは、革命派。

46: 日本@名無史さん
幕府側=権益にしがみついた醜い老人ども。
倒幕派=日本を思う若き国士たち。
民衆も260年間も続き、権益を独占し、腐敗臭漂う徳川幕府の政治には
厭き厭きしていた。
最初から勝敗は目に見えていた

47: 日本@名無史さん
>>46
明治~戦前の知識人や庶民は、単なる派閥抗争であったと見ていましたよ

そしてその延長線上に、当時(明治・大正・昭和)の軍や政界の権力闘争
があった。

48: 日本@名無史さん
>>47
実際にその時代を生きて経験したわけでもないくせに
妄想癖がひどいようだね

あと権力闘争のなかった時代があるなら教えてくれw

49: 日本@名無史さん
蝦夷共和国って逝き印マークみたいだね。

1


54: 日本@名無史さん
>>49
[蝦夷共和国]は、左翼のプロパガンダだよ。
幕府残党が共和制を志向するわけがない。

56: 日本@名無史さん
>>54
小栗にしろ西周にしろ共和制を考えてたんだよ。
天皇をかつぎだしてインチキ君主制をでっちあげた倒幕派は醜い。

57: 日本@名無史さん
>>56
>小栗にしろ西周にしろ共和制を考えてたんだよ

小夜は、すぐにばれるようないい加減な嘘をつく。当時の佐幕派は皇室自体は支持・尊敬
していたのだけど。

58: 幕臣
>>56
「明治維新」の真相がこれほどまでに解明されて来たのは
ここ十年ばかりのことでしょうか。
まあ、バカは相手にせんことです。

59: 日本@名無史さん
>>58
その真相とやらを教えなさいよ。ちなみに、僕も佐幕派だ。倒幕派は当時の「左翼」じゃ
ないかと思う。革命(暴動による政権奪取)のためなら手段を選ばない連中で、共産主義・
の連中は倒幕派の思想的子孫じゃないかという気がしている。

63: 幕臣
>>59
意見はほぼ正しい。
佐幕派なら「真相」は自分で調べろ。
薩長や明治政府の息のかかっていない中立や佐幕の意見を探せ。
それから、明治政府の言い分と付き合わせろ。
どっちが本当か、自分で判断しろ。

51: 日本@名無史さん
俺は中立派だな。そしてあらゆる女とセックスしまくる。
産ませまくって男を上げる。最後はアメリカ人になりたい。

52: 日本@名無史さん
>>51
岩村くんが「中立は認めない」と言って攻めてくるよ

53: 日本@名無史さん
佐幕派=理性と常識を体現。全面的な国家改造に着手する。
倒幕派=藩単位の既得権益にしがみつき改革を拒んだ凶暴な反動勢力。


61: 日本@名無史さん
>佐幕派=理性と常識を体現。全面的な国家改造に着手する。 
旧い固定概念にとらわれて、侍の特権にどっぷり浸かって平和ボケ、 
精神論ばかり唱え、不平等条約しか結べなかった分際でよく言うよ(w

62: 59
>>61 
佐幕派 = 守旧的だが、バランス感覚にすぐれる。守旧的だからこそバランス感覚に 
優れるといったほうがいいね。改革にも熱心だが、改革のために国家の屋台骨をぶちこ 
わそうとしない。
 
66: 日本@名無史さん
>>61
>改革のために国家の屋台骨をぶちこわそうとしない。
ヲイヲイ、それは
>>53
>藩単位の既得権益にしがみつき
これを幕府の既得権益にしがみついて、と言い換えて同じじゃねぇか?(w

68: 日本@名無史さん
>>66
違うよ。
幕藩体制の維持が不可能であることを最も深く理解していたのは幕府側。
彼らは幕藩体制下で中央政府としての役割を果たし外交問題に取り組んでいたからね。
幕府は不必要な混乱を避けつつ中央集権国家に移行しようとしていたのであって、
>>62が言うようにみごとなバランス感覚をもっていた。

ところがこうした幕府の改革を自藩の危機ととらえたのが尊攘派。
木戸の書簡などを読むと、
玉を握って大芝居を打たないと長州・薩摩・安芸は滅亡するなどといった妄言だらけ。
倒幕派は明確な現状認識も変革プランもまるで持ち合わせておらず、
単に「藩単位の既得権益」が脅かされるという恐怖心に突き動かされていた。
「王政復古」という反動的なスローガンの背後には矮小な利己主義しか見えない。


72: 日本@名無史さん
幕府は長州さえ取りつぶすことさえもできなかった。
西端の弱小と戦ってさえも負ける。この時点でだめぽ。
参勤交代もやめちゃうし、挙国一致の力も断固とした
意思も力も幕府には無かったんだよ。

>倒幕派は明確な現状認識も変革プランもまるで持ち合わせておらず、
薩長のトップはともかく影で操ってた裏方は認識してたよ。


   五箇条の御誓文
     一、 広(ひろ)ク会議(かいぎ)ヲ興(おこ)シ万機公論(ばんきこうろん)ニ決(けっ)スヘシ
     一、 上下(じょうげ)心(こころ)ヲ一(いつ)ニシテ盛(さか)ンニ経綸(けいりん)ヲ行(おこな)フヘシ
     一、 官武(かんぶ)一途(いっと)庶民(しょみん)ニ至(いた)ル迄(まで)各(おのおの)其(その)志(こころざし)ヲ
        遂(と)ゲ人心(じんしん)ヲシテ倦(う)マサラシメンコトヲ要(よう)ス
     一、 旧来(きゅうらい)ノ陋習(ろうしゅう)ヲ破(やぶ)リ天地(てんち)ノ公道(こうどう)ニ基(もとず)クヘシ
     一、 智識(ちしき)ヲ世界(せかい)ニ求(もと)メ大(おおい)ニ皇基(こうき)ヲ振基(しんき)スヘシ

73: 日本@名無史さん
>>72
「薩長を影で操ってた裏方」とやらが、五箇条のご誓文の精神を身につけていたなら、
そもそも幕末の混乱は生じなかったでしょ。
五箇条の御誓文が出されたのは戊辰戦争の真っ最中。
薩長がこの時期にしぶしぶ開国和親を表明したのは、欧米の承認を得るためのポーズにすぎない。
ま、パークスに捨てられたら破滅するしかないんだから当然だね。

むしろ薩長の本音は、五箇条の御誓文と同時に出された五榜の掲示にある。
ここでは儒教道徳の厳守、徒党禁止、キリスト教禁止などが告示されており、
幕府以上に旧主的な本性をさらけ出してる。

118: 日本@名無史さん
>>72
さんざん攘夷を煽っておいて
いまさら「智識ヲ世界ニ求メ」もないだろヴォケ

116: 日本@名無史さん
佐幕派(・∀・)イイ

121: 日本@名無史さん
漏れは異人嫌いだし天皇好きだから尊皇攘夷に走っただろうな。でも、幕府も好きだから
尊皇攘夷の公武合体派かな。ということは島津三郎みたいな感じ? 旧一橋派の復権の
幕政改革マンセーみたいな。
問題は薩摩が長州デムパと仲良くなってからだなぁ。あれにはついていけないYO。
どこに逝こう…

122: 日本@名無史さん
>>121
慶応義塾へ福沢先生をたずねなさい。

123: 日本@名無史さん
>>121
徳川家の末路に、家臣の一部分が早く大事の去るを悟り、
敵に向て曾て抵抗を試みず、ひたすら和を講じて自から家を解きたるは、
日本の経済に於て一時の利益を成したりと雖も、
数百千年養い得たる我日本武士の気風を損うたるの不利は決して少々ならず。
諭吉

124: 122
↑は、婉曲すぎて意味判らん。
で、明治34年の「痩我慢の説」より解説。
「270年の大政府が、二・三の強藩の兵力に対して毫も敵対の意なく、
和を講じ哀を乞うて止まなかったのは、世界に例を見ない。
勝安房が江戸の民を塗炭の苦から救ったことは大功かも知れないが、
新政府の新貴顕となって愉快に世を渡っているのを
怪しむ者もないのは奇怪である」

う~む……、福沢先生も武士だったのネ。

125: 日本@名無史さん
在野を貫いた福沢はまさに武士だね。
榎本は見苦しいし、勝の俗物的振る舞いの数々は醜悪の極みだ。

126: 日本@名無史さん
>>125
言いたい放題したくて野に居続けた、という考え方もあるが。

127: 日本@名無史さん
榎本は武将タイプじゃなくてテクノクラートだからなぁ。

140: 日本@名無史さん
ねえねえ、ヨクわかんないけど攘夷派が頑張ってなきゃ日本は植民地になってたのかな?

141: 日本@名無史さん
攘夷左幕倒幕開国その他全ての思想が存在したことが結果に結びついた。
ヨクわかんないんだったら勉強しろ

142: 日本@名無史さん
日米修好通商条約結んだ時点で、植民地に片足突っ込んでたも同然かも。

131: 日本@名無史さん
漏れの5代前までは幕府御家人だったからやっぱ佐幕派かな。

朝敵なめんなよゴルァ!