1: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 14:57:49.28 BE:155743237-PLT(12000) ポイント特典
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「幕末、最強の剣士」は結局のところ誰なのか「坂本龍馬、沖田総司、高杉晋作…」総合力は?
東洋経済 2017年07月26日

2017年6月、坂本龍馬が書いた直筆
手紙が新たに発見されました。

この手紙は、彼が暗殺される1年前の
慶応2年(1866年)に、兄・権平らに送ったものです。
手紙の前半には、その年の1月に遭遇した
「寺田屋での襲撃事件」が詳細に記載されています。

薩長同盟成立後、幕府は、これを仲介した龍馬を
指名手配し、潜伏先だった旅館「寺田屋」を襲撃しました。

このとき、数に勝る幕府の役人は、
龍馬を追い詰めながらも、
なかなか斬り込めませんでした。

それは、龍馬のもつ拳銃が脅威だったこともさることながら、
龍馬が「剣の達人」であるのを幕府側が知っていたからです。
終始尻込みした幕府の役人たちは、ついには彼を取り逃がしてしまいます。

幕末期には、龍馬をはじめ、新選組など
数多くの優れた剣士たちが各方面で活躍していましたが、
はたして誰がその中で「最も強かった」のでしょうか。

(後略)
http://toyokeizai.net/articles/-/180997
4: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:00:44.91 
生き残った奴が最強、って事で 
斉藤と永倉 


6: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:08:53.41 
新撰組はかなり過大評価されてるイメージしかない 


18: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:20:27.83 
>>6 
弱かったら龍馬みたいに斬り殺されてる
2: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 14:59:12.27
龍馬が剣の達人w

13: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:14:59.18
>>2
鬼小町から一方的に妻宣言されるくらいは強いかと。

37: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 17:16:14.69
>>2
北辰一刀流の免許皆伝やぞ
最強ではないだろうがかなりの腕前なのは確か

8: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:09:35.61
田中新兵衛

田中 新兵衛(たなか しんべえ、天保3年(1832年) - 文久3年5月26日1863年7月11日))は、薩摩藩士。は雄平。尊王攘夷派で、幕末の四大人斬りの一人。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/田中新兵衛 

11: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:13:47.61
男根精子太郎みたいな名前の人が強いって聞いた

男谷 信友(おたに のぶとも、寛政10年1月1日1798年2月4日) - 元治元年7月16日1864年8月17日))は、幕末幕臣剣術家直心影流男谷派を名乗った。その実力の高さと温厚な人格から、「幕末の剣聖」と呼ばれることもある。官位従五位下下総守。通称精一郎は静斎、蘭斎。幼名は新太郎。門下から島田虎之助榊原鍵吉などの名剣士が輩出した。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/男谷信友 

16: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:17:32.88
福沢諭吉って何気に抜刀術の達人だったらしいね

21: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:30:33.12
高橋泥舟
剣の腕も去る事ながら
この人は龍馬も西郷も裸足で逃げ出す器量の持ち主

高橋 泥舟(たかはし でいしゅう、天保6年2月17日1835年3月15日) - 明治36年(1903年2月13日)は、日本の武士幕臣
生家の山岡家は槍の自得院流(忍心流)の名家で、精妙を謳われた長兄・山岡静山に就いて槍を修行、海内無双、神業に達したとの評を得るまでになる。 
勝海舟、山岡鉄舟と並んで「幕末の三舟」と呼ばれているが、勝は後年「あれは大馬鹿だよ。物凄い修行を積んで槍一つで伊勢守になった男さ。あんな馬鹿は最近見かけないね」と泥舟を評している。槍一筋、節義一筋に生きた泥舟の生き方を勝流に賞賛した言葉であろう。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/高橋泥舟 

22: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:35:08.65
普通に白井亨やろ
1
 

白井 亨(しらい とおる, 1783年天明3年) - 1843年12月5日天保14年11月14日)は、江戸時代後期の剣客。天真一刀流二代目、天真伝兵法(天真白井流)の開祖。一説に白井流手裏剣術の開祖とも。は義謙。を鳩洲。身長168㎝。

中西派一刀流弟子時代は、寺田宗有高柳又四郎と並んで「中西道場三羽烏」と謳われた。 
翌寛政9年(1797年)一月十六日(以後、漢数字の年月は旧暦)、当時江戸で名高い一刀流中西道場中西子啓木刀形稽古から竹刀稽古へ転換した)の元へ入門する。同門には、寺田宗有(竹刀稽古はせず木刀形稽古のみ)、高柳又四郎浅利又七郎千葉周作などがおり、その中で亨も腕を磨いた。入門して5年間は、病気であっても1日も稽古を休まず、夜も母に見守られながら数の重しを加えた木刀を振るった
竹刀での打ち合い稽古の量と指導の丁寧さには北辰一刀流千葉周作も驚嘆して『剣術初心稽古心得』に残している。また、大成して後にかの勝海舟も白井亨と稽古した印象を『鐡舟随感録』では「真に不思議なものであったよ」と言って神通力を備えていると述べ、『日本劔道史』において直心影流山田次朗吉は「実に二百年来の名人として推賛の辞を惜しまぬ」と述べている。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/白井亨 

76: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 23:16:32.37
>>22
他流試合での評価がすごいよな

78: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 23:31:31.54
>>76
大石進に初見で勝ってる時点で別格だよな

23: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:37:24.22
山岡鉄舟
2

山岡 鉄舟(鐵舟、やまおか てっしゅう)は、幕末から明治時代の幕臣政治家、思想家。の達人としても知られる。

鉄舟は居士号、他に一楽斎通称鉄太郎(鐵太郎、てつたろう)。高歩(たかゆき)。一刀正伝無刀流(無刀流)の開祖。「幕末の三舟」のひとり。栄典従三位勲二等子爵。愛刀は粟田口国吉や無名一文字、家吉。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/山岡鉄舟


でも永倉新八がジジイの時に若者に絡まれたけど 
眼力だけで追い払ったエピソードが好き。 

26: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:42:00.61
よく昔の剣豪が神格化されるけど、
果たしてそんなに強かったんかね?
この手の話って結構盛ってるだろうし…。

大航海時代に巨大イカとかの目撃例も、
船乗りが相当話を盛った結果だとも言うし…。

81: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 01:49:29.91
>>26
(足軽じゃない正規の)侍の筋肉と骨は相当変形してるよ

28: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:47:48.52
長生きしたのは永倉と斎藤一だな

30: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:52:12.89
間違いなく、斎藤一か永倉新八だろ
特に斎藤一は戊辰戦争、西南戦争を戦って生き残った
道場剣術とは次元が違うよ

34: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 16:30:50.61
>>30
その永倉や新撰組以外からも強いと言われてた沖田も相当強いだろうね
12才の時に白河藩の剣術師範と対戦して勝ったのは伊達じゃない

32: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 16:13:01.64
眼力すごすぎぃ!!
no title

斎藤一

35: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 16:32:22.66
会津の佐川官兵衛か
伊庭八郎を推す
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伊庭 八郎(いば はちろう)は、江戸時代末期(幕末)から明治にかけての武士幕臣秀穎(ひでさと)。隻腕剣客として知られる。
天保15年(1844年)、「幕末江戸四大道場」の一つに数えられる御徒町の剣術道場「練武館」を営む心形刀流宗家を、養子となって継いだ伊庭秀業の長男として江戸に生まれた。 
彰義隊上野戦争を始めるとこれに呼応。新政府軍の江戸入りを阻止するため、箱根の関所を占拠しようとして小田原藩兵と戦闘となった。一時は和睦が成立したものの、再び敵対した小田原藩と箱根山崎で戦いが起こり、三枚橋で小田原藩士・高橋藤五郎(鏡心一刀流)に左手首の皮一枚を残して斬られた。このため自ら前腕の途中から先を切断。以後、左手は不自由となった。

江戸退却の後、八郎などの離脱者を除いた遊撃隊士は林らに率いられ、榎本武揚率いる旧幕府脱走艦隊の長崎丸に乗って、奥州へ向かった。八郎は病院船で治療を受けていて、遅れて蝦夷地へ向かったが、銚子沖で乗船「美賀保丸」が座礁。この時、無念のあまり切腹しようとして止められ、その後、救出された八郎は友人らの協力を得て横浜からイギリス艦で箱館へ向かうこととなった。

箱館に到着後、旧幕軍役職選挙で、歩兵頭並、遊撃隊隊長となった。徹底抗戦を主張し、隻腕でありながらも遊撃隊を率いて奮戦したが、木古内の戦いで胸部に被弾した。箱館病院で治療を受けていたが、当時の医療では為す術は無く、致命傷となった。箱館撤退の際に傷病者が搬送された湯の川ではなく、五稜郭に入ることを希望。虫の息となっても痛いとは一言もいわなかったが、開城の前夜に榎本武揚の差し出したモルヒネを飲み干して自殺した。享年26。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/伊庭八郎 

36: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 16:39:36.52
岡田 以蔵だろ

岡田 以蔵(おかだ いぞう、天保9年1月20日1838年2月14日) - 慶応元年閏5月11日1865年7月3日))は、江戸時代末期土佐藩郷士。 司馬遼太郎の小説名から「人斬り以蔵」の名でも知られる。宜振(読みについては「よしふる」の他「たかのぶ」、「のぶたつ」等諸説あり不明)。幕末の四大人斬りの一人。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/岡田以蔵 

38: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 17:36:22.09
以外に薩摩藩士の名前は上がらないよな

39: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 17:47:40.33
>>38
薩摩だと田中新兵衛、中村半次郎、大山綱良らへんかな。

40: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 17:54:53.08
>>38
示現流ってのがね
物差しが他の流派とちょいと違うからこだわり出したらきりがない

55: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 19:17:21.89
>>38
奈良原喜左衛門と桜田門外の有村がいるな
桐野は中指欠指で満足に戦えないよ

45: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 18:40:38.65
兜割やったのだれだっけ

63: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 20:28:32.11
>>45
明治撃剣会の話なら榊原健吉だな
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榊原 鍵吉(さかきばら けんきち、文政13年11月5日1830年12月19日) - 明治27年(1894年9月11日)は、江戸幕府幕臣剣術家。は友善(ともよし)。

幕末期男谷信友から直心影流男谷派剣術を継承し、講武所剣術師範役、遊撃隊頭取を務める。明治維新後は撃剣興行を主宰して困窮した士族を救済したことや、天覧兜割りの成功などで知られ、「最後の剣客」と呼ばれる。稽古で長さ六(180cm)、重さ三(11kg)の振り棒を2000回も振ったといわれ、周りは55cmあったという。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/榊原鍵吉 

46: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 18:47:46.41
ネタ的に龍馬の姉さんでええやんか

49: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 18:51:50.31
龍馬の姉は当時で175cm以上あったらしいから今で言うブラジルの総合格闘家のギャビみたいなもんだろうな。女としてなら最強クラス

54: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 19:13:50.50
千葉榮次郎
桂小五郎
山岡鉄舟

59: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 19:26:48.78
こういうスレに必ず現れる幕末バカは北辰一刀流だの天然理心流だのを盲目的に有り難がり過ぎなんだよねw
やれ免許皆伝だの目録だのバカバカしいにも程があるわ
今はともかく当時はただの田舎剣法じゃねえかww

62: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 20:15:48.55
>>59
こういうこと言う奴って居るよな
ただ自分がスレの出だしに乗り遅れたからってヤキモチ焼くなよw


今ならまだ間に合います

82: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 01:50:35.27
>>59
江戸三大道場は価値がある
天然なんとかはそれこそ馬鹿が書いた本鵜呑みにしすぎた結果だね

69: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 22:09:35.24
技の千葉、力の斎藤、位の桃井
速さの柏木、意外性の奈倉

70: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 22:12:53.88
千葉栄次郎だろ

千葉 栄次郎(ちば えいじろう、天保4年(1833年) - 文久2年1月12日1862年2月10日))は、幕末剣客。栄次郎は通称で、は成之。

北辰一刀流を開いた千葉周作の次男で後継者。当代の名人達人と呼ばれる剣術家相手に高い勝率を誇った名剣士であったが、30歳の若さで没した。
玄武館で「鬼鉄」と呼ばれていた頃の山岡鉄舟が、同輩約20人と共に栄次郎に勝負を挑んだ。栄次郎を疲れさせて最後に鉄舟が仕留める魂胆であったが、栄次郎は少しも疲れることなく、逆に鉄舟たちが降参してしまった。しかも柄の折れた竹刀であしらわれていたことを知り、鉄舟は栄次郎の強さを思い知ったという。
https://ja.wikipedia.org/wiki/千葉栄次郎
  
72: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 23:00:34.95
後は仏生寺弥助ぐらいか

仏生寺 弥助(ぶっしょうじ やすけ、1830年1863年8月8日文久3年6月24日))は、幕末の剣豪。本名は吉村 豊次郎練兵館最後の塾頭・原保太郎は、「日本武道史」の著者・横山健堂に、「弥助こそ当時の日本一」と語っている。菩提寺は京都市左京区心光寺。戒名は「仙徳院刃豊居士」 
越中国射水郡の漁村に生まれとされる。江戸へ出て、神道無念流の剣術道場・練兵館の風呂焚きの仕事に就くが、隠居先生と呼ばれた岡田利貞に見いだされ(仕事の合い間に道場を覗き見し、習わぬ剣術を覚えてしまった)、後に指導を受けることとなる。その腕前は初心者ながら剣を持たせたら、塾内の練達者を打ち負かすほどだったという。時に弥助16歳。このエピソードからも天才肌の人物だったと可能性が高い。練兵館における弥助の強さは一目置かれており、幕末の剣豪として知られる長州(岩国領)藩士の宇野金太郎が塾の重鎮の斎藤歓之助(大村藩の剣術指南役)を打ち負かした。これに対し、面子潰れを恐れた錬兵館の切り札として弥助が出向き、宇野金太郎を叩きのめした記録が残っている。これらのことからも弥助の強さはかなりのものと推測されている。しかし文字も読めない無学者で、酒癖や素行の悪さもあり無地位に終わった。 
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏生寺弥助 

83: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 01:52:40.50
斎藤一
わりと本気で

90: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 02:48:49.02
芹沢先生だろ、結局みんな多勢に無勢なんだから

100: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 08:58:16.42
以蔵は武市の操り駒だったのがなあ
この時代は何であれ思想を持ってたものだが以蔵は言われるがまま公家を斬ってるし
そのとばっちりを受けたのが田中新兵衛っていう皮肉
最後は武市の悪行をゲロって張り付けにされるし信念がない
まあ強かったんだろうけどw

110: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 09:50:19.30
>>100
少なくとも、勝海舟とジョン万次郎への集団襲撃を単独で蹴散らしてる。
幕末に一対多のチャンバラで勝ってる公式記録あるのは以蔵くらい。

104: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 09:39:24.26
幕末最強剣客は男谷信友です
これは榊原健吉や島田虎之介も弟子だったという事を差し引いても認めています
まあ男谷に並ぶものが居たとすれば大石進だけでしょうね

111: 幕末まとめ 2017/07/27(木) 09:55:39.41
中村半次郎って蛤御門の変の時に来島又兵衛に大将首貰ったと斬りかかったら槍の柄で鉢金の上から殴られて昏倒したんだろ
まああれは池波正太郎の創作だろうけど 別の小説では来島又兵衛を狙撃したのは半次郎になってるしこの2人って接点あったのかな
人斬り半次郎を読んでると大山格之助が最強過ぎるよね まあ実際凄まじい剣の達人だったそうだけど

15: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:17:12.34
前に河原で空き缶に突きの練習してたら通りがかりの爺さんがズババババ!って突きをして木の棒なのに穴があいてびびった
今思えばあれが斎藤一なんやな