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カテゴリ: 現代

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4: 幕末まとめ 2016/05/16(月) 19:03:30.25 0
昔なら市民革命も出来ただろうけど 
現代的な装備を持った警察や軍隊相手に革命起こすのは難しくなってる

8: 幕末まとめ 2016/05/16(月) 19:05:20.52 0
>>4 
2011年のチュニジアのジャスミン革命は若者のデモが全土に広がって革命が成功した 
人口が増えた現代はデモが有効な手段

6: 幕末まとめ 2016/05/16(月) 19:04:41.22 0
>>4 
軍隊がクーデターで新政府作れるってことじゃん 
革命家は自衛隊入れ
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1: 以下、\(^o^)/でVIPがお送りします 2015/08/08(土) 06:42:09.76 *.net
日本政府はカーチスルメイに勲章を上げましたが、昭和天皇はルメイに面会することはありませんでした。
これは自らの意志で拒否したのでしょうか?それとも、政府が騒ぎを恐れ、面会をセットしなかったんでしょうか?

【ベストアンサー】
あの叙勲が正当なものでは無いからでしょう

通常の叙勲は春秋叙勲だが 彼は空自の10周年だかで来日した際に、空自発展への尽力として叙勲された
これは外国の国家元首・首相級並の扱いである

ではなぜ政府は叙勲したか
それは 国会内で国防に関する影響力を持つ参議院議員の源田元空将と 衆議院議員の小泉防衛担当国務大臣(防衛庁長官)が叙勲を推し進めたから
理由は ①源田が米軍より勲章を貰い、その返礼的に勲章を贈りたかったから ②小泉長官が 軍事関連法案を成立させる為に米政府の後ろ盾(安保上)が欲しかったから(実際には、息子の小泉首相が成立させた)


等の理由から 「正当な叙勲」 では無く、政府からも宮内庁に親授を働きかけなかったから

と 記憶しています

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/06(土) 15:49:37 ID:LaPV/fPh.net
ドイツでは「ヒナ」、フランスでは「シナ」、英米では「チャイナ」
どこの国もいわゆる「中国」を土地の名前で呼んでいる。
中国なんて、「世界の中心にいる立派な国」みたいにへりくだった
呼び方をしているのは日本だけ。
尖閣の問題を機会に、これからは、この問題国を「チャイナ」と呼ぶ
習慣を日本国民はつけていこう!

2: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/06(土) 16:31:26 ID:RBBuu4eM.net
チョイナ

3: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/06(土) 17:33:28 ID:mI0EAeqQ.net
チャンコロじゃダメ?

4: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/06(土) 17:36:48 ID:MV8MCjvp.net
シナで必要十分。発音的にも通じる国が多い。

5: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/06(土) 17:50:58 ID:vWhk8Db8.net
支那は始皇帝の秦が語源であるし,チャイナも同じである。 
支那を差別語とするのは,単なるイチャモンに過ぎない。 

メンマを昔は支那竹と言っていた。それで何ら問題ない。 
支那と呼べばいいのである。

6: 名無しさん@お腹いっぱい。 2010/11/06(土) 18:10:04 ID:LaPV/fPh.net
>>2,3,4,5 
支那でもまったく賛成だが、とにかく「中国」と呼ぶのを 
一刻も早くやめることが、今後の日支関係を有利にするため 
必要と思うんだ。


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1: キャプチュード(アラビア)@\(^o^)/ 投稿日:2016/01/20(水) 12:41:11.72 ID:ny7pCVD20
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1: ミントソーダ ★ 投稿日:2016/01/20(水) 20:54:50.36 ID:CAP
 零式艦上戦闘機(零戦)が今月27日、海上自衛隊鹿屋航空基地(鹿児島県鹿屋市)の上空を飛ぶ。機体を所有するニュージーランド在住の日本人と、防衛省などの調整が終わったことが20日、わかった。日本の空を零戦が舞うのは、戦後初めてで、関係者は「日本の繁栄を築いた先人の勤勉さと技術革新に、思いをはせるきっかけにしてほしい」と語った。

◆飛行予定日は27日、周囲から見学を

 飛行予定日は27日で、28、29を予備日としている。基地内への立ち入りは禁止だが、周辺で飛ぶ様子を見ることはできる。パイロットに、零戦の飛行免許を持つ米国人を招く。

 機体は、ニュージーランドを拠点に、フライトジャケットの製造・販売会社を経営する石塚政秀氏(54)が所有する。

 現在、飛行可能な零戦は世界中に6機ある。所有者のうち日本人は、石塚氏だけという。平成22年5月、国内で零戦を飛ばす「零戦里帰りプロジェクト」を設立した。

◆トラブルから夢実現へ

プロジェクトのきっかけは、トラブルだった。

 19年半ば、石塚氏のもとを、北海道小樽市の関係者を名乗る男性が訪れた。博物館で展示するために、零戦を入手したいが、その交渉を手伝ってほしいという依頼だった。

 石塚氏は、米国の飛行機収集家やパイロットに人脈があった。石塚氏は仲介を引き受けた。

 零戦を保有する米カリフォルニア州の有名バイクレーサーと売買契約を結んだ。彼が所有する機体は、パプアニューギニア・ラバウル近郊に放置されていた零戦22型で、米国人が1970年代に入手し、飛べるように復元していた。

 だが、契約後にリーマン・ショック(2008年9月)が発生した。男性が持ち掛けた零戦展示構想は、景気悪化のあおりを受けて、中止になったという。

 売買を取りやめれば、米国人レーサーから億単位の違約金を求められる。石塚氏は訴訟も考えたが、相談した弁護士に「零戦を生かす方法を考えた方が、自分の人生のためではないか」と諭された。

 石塚氏はもともと、飛行する零戦を日本人に見てもらいたいと夢を抱いていた。「それなら、日本で零戦を飛ばそう」。腹をくくった。

 3億5千万円かけて零戦を購入した。ニュージーランド・クライストチャーチにある牧場や自宅、車などを売り、借金もした。

 購入から4年半が経過した平成26年9月、機体が横浜港に到着した。駐機先は、隊員の研修用機材にすることを条件に、鹿児島県の鹿屋航空基地に決まった。

 鹿屋市までの輸送費などとして、インターネット経由で寄付金約2340万円を集めた。昨年7月初旬にエンジンテストも終え、いざ公開飛行を待つだけになった。

続きはソースでご確認ください
http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n1.html
http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n2.html
http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n3.html
http://www.sankei.com/west/news/160120/wst1601200101-n4.html
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