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カテゴリ: 明治

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1: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 22:25:29.42
他に何かあったやろ…



2: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 22:25:54.81 
おは田中 

4: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 22:26:14.18 
田中というても其れなりに名家もあるやろ 

605: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 22:52:59.82 
>>4 
それって単に数が多いから名家も中にはあるってだけやろ 

11: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 22:26:58.66 
ワイの先祖は木の下に住んでたらしいわ 

22: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 22:28:04.46 
>>11 
朴を分解したんやぞ 

345: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 22:44:09.37 
>>22 
秀吉はなんやねん 
 
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1: 名無しさん 2016/07/27(水) 23:55:02.09 _USER
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引用元:毎日新聞 2016年7月27日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20160727/ddl/k44/040/266000c
引用元:大分合同新聞 2016年7月27日 朝刊
http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/07/27/003223450

西日本では唯一

 明治の思想家・福沢諭吉(1835~1901年)が書いた「学問のすゝめ」の初版本が、諭吉が少年時代を過ごした中津市で見つかった。郷土史研究家だった故・今永正樹さん(1906~88年)の妻百合子さん(86)=同市在住=が市歴史民俗資料館へ寄贈した郷土資料約1600点に含まれており、市が26日に発表した。【大漉実知朗】

 「学問のすゝめ」の初版本は現在、慶応義塾福澤研究センターが3冊所蔵。また東大付属近代日本法政史料センターなどに計5冊ある。今回は9冊目の発見で、西日本では唯一だという。

 市社会教育課文化財室の学芸員、曽我俊裕さん(26)によると、見つかった本(縦18センチ、横11・5センチ)の保存状態は良好。文字に凹凸があり、鉛活字による活版印刷だったことが決め手になった。

 寄贈された資料には当時の最先端技術だった活版印刷で増刷が追いつかず、2版以降に木版へ切り替えた一回り小さい本もあった。活版と木版の比較もできる貴重な資料だ。

 「学問のすゝめ」は明治5(1872)から9(1876)年に17の小冊子シリーズとして出版された。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な言葉は初編の冒頭にある。

 福澤研究センターの西沢直子教授は「当時の大ベストセラーで、現存する多くは再版された木版本。活版による初版本は極めて珍しい。初編は元々、中津の人たちに宛てたメッセージだったので、中津の旧家から見つかったことは意義深い」。曽我さんは「最後のページに『京町 中村』と書かれており、今永さんが地元の中村さんという人から譲り受けたのでは」と話す。

 県立先哲史料館の大津祐司館長(日本近世史)によると、「学問のすゝめ」は諭吉が設立に尽力した中津市学校の生徒に向け、学問の極意をつづったものとされる。「立派な教えの言葉だったので増版を重ね、全国に広まった。その初版本が中津にあったとは」と驚いていた。

 今永さんは1956年~65年に市立図書館長などを務め、「年表・福澤諭吉」など著書多数。今回発見された初版本と再版本は30日~10月2日に、同市留守居町の福澤記念館で公開される。

福沢諭吉
http://www.oita-press.co.jp/~/media/Images/oita-press/2016/07/27/J200902120415_BI_JPG_00.ashx
中津市で見つかった「学問のすゝめ」初版本
http://www.oita-press.co.jp/~/media/Images/oita-press/2016/07/27/J201607260569_BI_JPG_00.ashx


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1: 幕末まとめ  2016/06/25(土) 23:24:36.24
ワクワクするよな
そんな東郷平八郎は日露戦争を経て日中戦争直前まで生きてる

そして今生きてる100歳の三笠宮崇仁親王(昭和天皇の弟)は東郷平八郎に会ったことあり


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1: 幕末まとめ  2016/04/27(水) 19:56:57.43 _USER
1868年の下野戊辰戦争で新政府軍が使った「菊花紋官軍旗」2旗が宇都宮二荒山神社から発見されたと26日、県立博物館が発表した。
長さ3メートルを超える薄絹製の「白生絹(しろすずし)御紋之旗」は全国で初めて、
正方形に近く紅色が鮮やかな「菊御紋紅大四半(くれないだいしはん)」は国内で2旗目。

同館は「激戦だった下野戊辰戦争を研究する上で大変重要な史料となる」としている。
いずれも29日から同館で開く企画展「宇都宮藩主・戸田氏その歴史と文芸」で公開する。

白生絹は墨で菊紋が描かれており、縦332・4センチ、横58・9センチ。上部に金具の輪が二つあり、つり下げられるようになっていた。
下部には白糸で碁盤目状の縫い目があり、中央から下にかけて9カ所修理した跡が残る。
収められていた木箱の表には「招魂社(しょうこんしゃ)(現・県護国神社)宝器」、裏に「宇都宮及び諸所の戦争に用いた」と記されている。
書付には「宇都宮藩奉納」とあり、同藩に下賜されたことが分かる。

大四半は縦164・8センチ、横154・9センチで、中心には墨で菊紋が描かれている。

箱には会津戦争で用いたと記され、書付には「野津(のづ)参謀奉納」と書かれている。
宇都宮城などをめぐる戦いで薩摩藩士の野津鎮雄(しずお)(後の陸軍中将)、道貫(みちつら)(後の陸軍元帥)兄弟が従軍していたことから、
戊辰戦争後、招魂社へ奉納したとみられる。

【下野戊辰戦争】
新政府軍と旧幕府軍が、1868年4月から閏(うるう)4月を含めて約6カ月間、県内各地で戦った。
小山をはじめ宇都宮、壬生、藤原、那須などで交戦。
新政府軍は大山巌(おおやまいわお)、板垣退助(いたがきたいすけ)、
一方の旧幕府軍には大鳥圭介(おおとりけいすけ)、土方歳三(ひじかたとしぞう)らが指揮官として参戦していた。

写真:全国で初めて確認された「白生絹御紋之旗」
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写真:保存状態が極めて良い「菊御紋紅大四半」
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以下ソース:下野新聞 4月27日
http://www.shimotsuke.co.jp/news/tochigi/local/news/20160427/2308618


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1: 幕末まとめ  2016/03/09(水)22:19:46
幕末までは尊皇攘夷だったのに維新後は脱亜入欧なんだもん
幕府が若干可哀想


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