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カテゴリ: 幕末

1: 名無しさん 2017/06/12(月) 20:53:23.91 _USER
「坂本龍馬を斬った男」全国へ発信 地元の島田・初倉にNPO

今井信郎
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 「近江屋事件」で坂本龍馬を斬ったとされる元幕臣で、初倉村(現島田市初倉)の村長を務めた今井信郎(1841~1918年)=写真=の生きざまを後世に伝えようと、地元住民が「NPO法人初倉まほろばの会」を設立した。近江屋事件から150年の節目で、来年に今井の没後100年を迎えるのに合わせ、地域の歴史を全国発信していく。
 「世界一長い木造歩道橋」として知られる同市の蓬莱橋の南側、今井の屋敷跡(同市阪本)が活動拠点となる。現地には、今井の初倉村での業績を顕彰しようと地元住民が2003年に建立した高さ2・6メートルの石碑と、義娘にあたる歌人邦子が初倉で詠んだ歌碑がある。
 メンバー約30人は今後、蓬莱橋と屋敷跡地をつなぐ散策路を整備したり、看板やベンチのほか、情報誌を作ったりしていく予定。将来的にはボランティアガイドなどにも取り組むという。
 同会によると、今井は1878年に初倉に移住し、亡くなるまでの40年間、地域の発展に尽力した。榛原郡農事会長や村議会議員、村長などを歴任。榛原高の前身にあたる「堰南(えんなん)学校」の設立にも携わったとされる。
 同会の大塚靖郎副理事長(73)は「なぜ暗殺者を顕彰するのかという声もあるかもしれないが、今井が後半生に残した大きな功績を次世代につないでいきたい」と話す。邦子の歌碑を増設することも検討している。
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/369207.html 
http://www.at-s.com/news/article/topics/shizuoka/369207.html?page=2

4: 名無しさん 2017/06/12(月) 20:59:41.79 
けったくそ悪い犯罪者を顕彰とか、頭沸いてんだろ。 


19: 名無しさん 2017/06/12(月) 21:49:44.00 
>>4 
まぁ当時はギリギリ斬った斬られたの時代だろ 
今の刑法の価値観で同列に語るのがおかしい 


22: 名無しさん 2017/06/12(月) 22:41:38.47 
>>19 
それでも後世の人間が自慢したりするような事じゃない 
いつだって、忌み嫌うべきだよ、人殺しは 


57: 名無しさん 2017/06/26(月) 11:59:52.27 
>>4 
不景気だから、どんなことにもすがりたい。 
地元の景気を少しだけでもマシなものにしたい。 
絶望の中に僅かな希望を見いだしたい。 

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1: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:10:25.39 _USER9 BE:163221131-PLT(33337)
龍馬も通った「岩倉旧宅の正門」初開放 大政奉還150年記念

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国指定史跡「岩倉具視幽棲旧宅」の正門から入った来訪客を出迎える担当者=16日午前、京都市左京区(西川博明撮影)1/1枚

 徳川幕府が政権を返上した「大政奉還」から今年で150年の節目にちなみ、国指定史跡の岩倉具視幽棲旧宅(京都市左京区)で16日、普段は閉鎖している正門を初めて一般開放した。「坂本龍馬も通った正門から入ろう」と題した企画で岩倉具視の命日の20日、23日も開放する。

 旧宅を管理する植彌(うえや)加藤造園(同区)によると、大政奉還前の慶応3(1867)年6月、坂本龍馬や中岡慎太郎が旧宅を訪れ、岩倉に政治の相談を持ちかけた記録が残るという。同社の重岡伸泰さんは「正門を通り、幕末の志士らの気分を体感してほしい」と話す。入場料一般300円。

 一方、ANAクラウンプラザホテル京都(同市中京区)は7日、市民公開イベント「大政奉還で何が起こったか?」を開催。映画「武士の家計簿」の原作者などで知られる歴史家で、国際日本文化研究センター(同市西京区)の磯田道史准教授が解説を行った。

 磯田氏は聴衆約300人を前に、大政奉還の意義を「日本が外国につけ込まれる隙を与えず、全国の兵乱を小さく抑えることができた」と評価。もし大政奉還がなければ「応仁の乱パート2のようなことも起きただろう」と予想していた。

産経WEST 2017.7.17 08:05

http://www.sankei.com/smp/west/news/170717/wst1707170015-s1.html
3: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:13:14.73 
>>1 
> 磯田氏は聴衆約300人を前に、大政奉還の意義を「日本が外国につけ込まれる隙を与えず、全国の兵乱を小さく抑えることができた」と評価。もし大政奉還がなければ「応仁の乱パート2のようなことも起きただろう」と予想していた。 

玉音放送が本土決戦を回避させたのに似ている 


2: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:11:53.62 BE:163221131-PLT(33337)
大河ドラマで岩倉具視が見たいな 
岩倉遣欧使節団とか超面白そう 


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1: 名無しさん 2017/07/05(水) 14:31:31.20 _USER9
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公共交通機関が未発達だった1893(明治26)年4月、松江市の県第一尋常中学校(現・松江北高)が、徒歩を中心にした全行程約500キロの修学旅行を実施していた。
鳥取県米子市の地域文化研究誌「伯耆文化研究」がこのほど発行した第18号で、こんな事例を紹介している。
山陰では修学旅行の草分けとみられるが、124年前の生徒たちは現在では想像できないほどの健脚ぶりだったようだ。【小松原弘人】

伯耆文化研究会の理事で郷土史家の岩佐武彦さん(78)が、米子市立図書館と島根県立図書館(松江市)で山陰新聞(現・山陰中央新報)の記事「三道旅行記」を発見した。
三道は山陰道、山陽道、南海道を指しており、同行した記者が執筆して同紙で随時掲載された。岩佐さんは記事と自身の解説、行程図をまとめた「全行程500キロ 徒歩・川舟・汽船による修学旅行」を寄稿した。

岩佐さんや三道旅行記によると、修学旅行は4月5日から同15日までで、島根、鳥取、岡山、香川、広島県を巡った。
参加者は3~5年の生徒と教師の計81人。行程の約4分の1は汽船、川舟、鉄道を利用したが、残りは徒歩での移動だった。
記事では記者が見た当時の交通事情や世相、それぞれの地域の様子を詳細に記録している。

初日には鳥取、岡山県境にある残雪の四十曲峠(770メートル)を踏破しており、記事は「足の疲れがひどく、寒さも甚だしく、耐え難い」と苦労ぶりを記述。
岡山では市街地や医学校、紡績工場を、香川では屋島の源平合戦古戦場や高松城、金刀比羅宮など見学した。
紡績工場では「電灯こうこうとして輝き」「発電機あり」「大機械あり」と驚きが書かれている。深夜や未明に出発することもあった。
汽船で松江に帰った夜は、下級生らが拍手と歓声で出迎えたという。

当時の服装は、1903(明治36)年に修学旅行をした第二中学校(現・米子東高)の創立90周年記念誌にある「木綿の筒袖、はかま、制帽、脚半、草履、布鞄」に似ていたとみられる。
岩佐さんによると修学旅行は1892(明治25)年ごろから広まりだし、「当時、記者が同行するほど注目されていたが、現代とは全く趣が異なったようだ。記事も当時の社会をよく伝えており、貴重だ」と話している。

修学旅行の行程図=「伯耆文化研究」第18号から


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170705-00000014-mai-soci


31: 名無しさん 2017/07/05(水) 14:43:35.33 
>>1 
>記事は「足の疲れがひどく、寒さも甚だしく、耐え難い」と苦労ぶりを記述。  

当時の人間でも疲労困憊じゃねえか 


335: 名無しさん 2017/07/05(水) 17:39:23.09 
>>31 
初日は雪山登山だからな 
よーやるわ 


338: 名無しさん 2017/07/05(水) 17:41:30.09 
>>335 
大山山麓だから相当急峻だよ。仮に四国の剣山だったら死人出るな。 

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1: 幕末まとめ 2017/06/29(木) 19:51:21.83 _USER
毎日新聞 2017年6月29日 19時15分(最終更新 6月29日 19時21分)
板垣退助が購入したルイ・ヴィトンのトランク=高知市立自由民権記念館提供
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板垣退助が購入したルイ・ヴィトンのトランクについていたタグ=高知市立自由民権記念館提供
https://mainichi.jp/articles/20170630/k00/00m/040/046000c

 仏高級ブランド「ルイ・ヴィトン」のかばんを日本で初めて購入したのは誰か--。この謎に高知県はこれまで、土佐藩士の後藤象二郎と紹介してきたが、さらに3週間早く自由民権運動の指導者、
板垣退助が購入していたことが分かった。板垣を顕彰する「板垣会」の公文豪・副理事長(68)がルイ・ヴィトンジャパン(東京都)を通じてパリ本店に照会して判明した。

 ともに土佐藩士だった板垣と後藤は1882(明治15)年、横浜からフランスの郵船に乗り、香港などを経てパリに到着。その後もロンドンなどを外遊し、翌83年に帰国した。

 公文副理事長によると、ルイ・ヴィトンジャパンの初代社長、秦郷次郎氏が著書の中で、後藤の顧客カードを、写真と共に紹介。これがもとで「後藤が日本人初の顧客だった」との説が広まった。

 しかし、昨年、東京都内であったルイ・ヴィトンの展覧会を機に、公文副理事長が同社を通じて購入記録を照会。記録によると、1883年1月9日に「Itagaki」という人物が、シリアルナンバー「7720」のトランクを購入していることが判明し、
名前とナンバーが、板垣の子孫が保管していたトランクと一致した。この3週間後の同月30日、後藤が二つのトランクを購入した記録があるが、現物が確認されておらず、後藤はこれより前にパリを出発していたという。

 公文副理事長らによると、板垣や後藤よりも8年早い75年、元薩摩藩士でフランス公使の「鮫島尚信」とみられる購入記録もあるが、現物が未発見で、実物で裏付けられる最初の購入者は板垣とみられる。

 板垣のトランクは現在、高知市立自由民権記念館に寄託されている。公文副理事長は「板垣の洋行に関わる第一級の資料だ」と指摘。県観光政策課は「あくまで通説の一つとして『後藤が最初』と説明してきた。新事実をきっかけに幕末や明治維新への関心が高まればいい」としている。【松原由佳】


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1: 幕末まとめ 2017/06/28(水) 02:32:29.34 BE:306759112-BRZ(11000) ポイント特典
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6月25日は尊王攘夷の日

6月25日は1863年に江戸幕府が朝廷に攘夷決行を約束した期日でもあります。
この期日に長州藩が関門海峡で外国船への砲撃を開始して下関戦争へと発展したのは有名です。
この頃に欧米列強諸国の間では秘かに日本への侵攻計画が立てられていました。

一歩間違えば日本が植民地となりかねなかった軍事計画とは、どのようなものであったのでしょうか。
東京大学史料編纂所教授の保谷徹氏による『幕末日本と対外戦争の危機』などを参考にしながら解説していきます。


幕末期にイギリス陸軍による日本侵攻計画が立案されていた
http://hatebu.me/entry/2017/06/25/170034


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