1: 幕末まとめ 投稿日:2014/01/24(金) 16:00:39.24
★吉田松陰辞世の句、幕府側に 彦根藩士書状から発見
幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)が自筆したとみられる辞世の句が、彦根藩士
長野主膳の書状の中から見つかった、と京都市東山区の井伊美術館が23日に発表した。
主膳は江戸幕府大老、井伊直弼の腹心で、研究者は「幕府側が松陰の歌を保管していたことは
興味深い」としている。
発見されたのは、後世に知られる辞世の句の一つで、「此程に思定(おもいさだ)めし出立
(いでたち)をけふきく古曽嬉(こそうれ)しかりける」。縦27・5センチ、横19・5
センチの紙に記され、左の傍らに「十月二十七日呼出の声をききて」という添え書きがあった。
安政の大獄で処刑された59年10月27日にしたためたとみられ、覚悟を決めた心境を表現
しているという。
同じ句は松陰の生家にも伝わるが、添え書きは右側にあり、山口県文書館(山口市)が所蔵している。
長野主膳は、志賀谷村(現米原市)に私塾を開いた国学者。松陰の書き付けは、主膳から送られた
書状を門弟がまとめた巻物に貼り付けられていた。裏面には牢屋(ろうや)奉行石出帯刀を通じて
入手したという説明書きがある。
署名は、山口に伝わるものと同じく「矩之(のりゆき)」となっている。松陰は「矩方(のりかた)」
と名乗っており、これまでは書き間違いとみられていたが、美術館は「獄中で改名したのではないか」
と推測する。
>>2へ続く
http://kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140123000160
吉田松陰自筆とみられる辞世の句(京都市東山区・井伊美術館)
幕末の思想家、吉田松陰(1830~59年)が自筆したとみられる辞世の句が、彦根藩士
長野主膳の書状の中から見つかった、と京都市東山区の井伊美術館が23日に発表した。
主膳は江戸幕府大老、井伊直弼の腹心で、研究者は「幕府側が松陰の歌を保管していたことは
興味深い」としている。
発見されたのは、後世に知られる辞世の句の一つで、「此程に思定(おもいさだ)めし出立
(いでたち)をけふきく古曽嬉(こそうれ)しかりける」。縦27・5センチ、横19・5
センチの紙に記され、左の傍らに「十月二十七日呼出の声をききて」という添え書きがあった。
安政の大獄で処刑された59年10月27日にしたためたとみられ、覚悟を決めた心境を表現
しているという。
同じ句は松陰の生家にも伝わるが、添え書きは右側にあり、山口県文書館(山口市)が所蔵している。
長野主膳は、志賀谷村(現米原市)に私塾を開いた国学者。松陰の書き付けは、主膳から送られた
書状を門弟がまとめた巻物に貼り付けられていた。裏面には牢屋(ろうや)奉行石出帯刀を通じて
入手したという説明書きがある。
署名は、山口に伝わるものと同じく「矩之(のりゆき)」となっている。松陰は「矩方(のりかた)」
と名乗っており、これまでは書き間違いとみられていたが、美術館は「獄中で改名したのではないか」
と推測する。
>>2へ続く
http://kyoto-np.co.jp/sightseeing/article/20140123000160
吉田松陰自筆とみられる辞世の句(京都市東山区・井伊美術館)