幕末ちゃんねる

幕末史中心の2chまとめサイト

カテゴリ:幕末 > 土佐

1: 幕末まとめ 2017/01/13(金) 13:19:22.18 _USER9
慶応3(1867)年11月15日に暗殺された坂本龍馬が亡くなる5日前に書いた手紙が見つかり、高知県が13日、発表した。

越前藩の重臣宛てで、新政府設立に向けた人材の派遣を求める内容。「新国家」という言葉を使って説得するなど、
龍馬が新政府設立の根回しに奔走した姿がうかがえる貴重な史料という。

幕末関連の歴史史料を探していた県が見つけ、京都国立博物館などが筆跡や内容などから龍馬のものと断定した。

「一筆啓上仕候」で始まる手紙(縦16センチ、横92センチ)は11月10日の日付でその下に「龍馬」の署名もあり、
大政奉還後の新政府の財政担当者として、越前藩士、三岡八郎(後の由利公正)を差し出してほしいと、同藩の重臣・中根雪江に懇願する内容。
三岡の派遣について「急を要すること」とし「三岡の上京が一日先になったら新国家の家計(財政)の成立が一日先になってしまう」と訴えていた。

当時、龍馬は暗殺された京都の近江屋に滞在しており、手紙はここで書き上げ、使いの者が京都・二条城近くにあった越前藩邸を訪れていた中根に届けたとみられる。

三岡は明治天皇が新政府の基本姿勢を示した「五箇条の御誓文」の起草に参画したことで知られており、財政政策にも携わるなど、新政府を支える人物となった。

龍馬は手紙を出す約1週間前、福井を訪れて中根に三岡の派遣を要請したが、
前向きな返事をもらえなかったため、念押しの意味で、その後京都入りした中根に手紙を送ったとみられる。
しかし、越前藩は、すぐに行動を起こさず、三岡の上京が実現したのは龍馬暗殺の1カ月後だった。
その後、龍馬の手紙の封紙には、朱書きで「人に見せてはいけない」などとする付箋がつけられていた。

龍馬の手紙に詳しい京都国立博物館の宮川禎一・列品管理室長は「三岡の高い能力を見抜いていた龍馬の先見性を示す」とした上で、
「『新国家』という表現は、他の手紙で見たことはなく、龍馬の国づくりにかける熱い思いを表すものだ」と話している。

佛教大の青山忠正教授(明治維新史)の話「掛け軸や巻物などに加工されず、全くオリジナルな状態で保存されていたのには驚いた。
当時、手紙は回覧されることが多かったため、丁寧な筆致、文体で書かれており、宛先の中根雪江だけでなく、
藩主の松平春嶽や他の重臣にも読まれることを想定して書いたのだろう。
文中の『新国家』はどのような意味で使ったのか、今後の研究が期待される。
今日的な国家という意味に近ければ、当時の言葉では『天下』と書いただろう。『新たな主君』や『天皇』を意味した可能性もある」



坂本龍馬 高知城下で土佐藩郷士の家に生まれる。江戸に出て北辰一刀流を学んだ後、故郷に戻って尊皇攘夷を掲げた土佐勤王党に参加。
その後に脱藩し、討幕運動に携わった。
この間に幕臣の勝海舟や長州藩の木戸孝允、薩摩藩の西郷隆盛らと交流。
日本最初の商社と言われ、後に海援隊となる亀山社中を結成し、薩長同盟や大政奉還の実現に尽力した。
宿泊していた京都の近江屋で、盟友の中岡慎太郎らといたところを襲撃され、暗殺された。

http://news.livedoor.com/article/detail/12536466/
2017年1月13日 13時2分 産経新聞

no title

no title

324: 幕末まとめ 2017/01/13(金) 16:45:07.70 
有名なエピソードだけど裏付けが出てきたってことか


続きを読む

200px-Sakamoto_Ryōma
1: 幕末まとめ  2017/01/01(日) 16:58:53.62 BE:194767121-PLT(12001) ポイント特典
「信念を持ち、意志を貫く」。幕末の志士、坂本龍馬のファンが新年の誓いや思いをつづった
龍馬宛ての年賀はがきが1日、高知市の桂浜にある龍馬像に届けられた。
 龍馬像の前で配達式が開かれ、日本に郵便制度が導入された1871年当時の配達員に扮した
男性が、はがき119枚の束を高知県立坂本龍馬記念館(同市)の高松清之館長に手渡した。
 記念館によると、熊本県の男性は昨年の地震被害に触れ「揺れないでと祈るばかりだった。
今年は穏やかな日々を過ごしたい」と書いた。
 イベントは8回目。

http://www.daily.co.jp/society/human_interest/2017/01/01/0009797108.shtml

83: 幕末まとめ  2017/01/01(日) 17:44:14.49 
>>1はアホやなw 
失敗した革命はテロになるんやで 
成功したから後の歴史で正しいとされるだけだよ 


87: 幕末まとめ  2017/01/01(日) 17:47:49.63 
>>83 
成功か失敗かって誰が決めるの? 
どうなったら失敗なの? 


94: 幕末まとめ  2017/01/01(日) 17:51:08.81 
>>87 
誰が決めるのってこどもかよw 
当時は徳川幕府から明治政府になったやろ 
それが成功したってことだよ 


101: 幕末まとめ  2017/01/01(日) 17:54:10.92 
>>94 
そして100年も経たずに破滅したな 
本当にあれでよかったのかな明治維新て 


402: 幕末まとめ  2017/01/03(火) 09:04:19.01 
>>101 
お前は本物のアホか? 
極東のちっこいチョンマゲの島国が 
中国倒して、ロシアを退かせて、世界を轟かせたんだぞ? 
世界でも類を見ない奇跡で、普通なら植民地にされてたわ 
暴走からのww2は悲惨な歴史だけど、失敗ってのは有り得ない 


437: 幕末まとめ  2017/01/03(火) 19:11:04.56 
>>402 
明治維新があったからこそなんだから、あんたの言ってる事は矛盾があるな
続きを読む

1: 幕末まとめ 2016/08/15(月) 14:50:19.13 _USER9
幕末に活躍した坂本龍馬の婚約者とされながら結ばれることはなく、戦後に千葉県松戸市にある
東京都立八柱霊園の無縁塚へ合葬された千葉さなの墓が、今年で没後120年を迎えるのを機に、
千葉家ゆかりの東京都練馬区の仁寿院へ改葬されることになった。さなの妹はまの子孫が
無縁塚の土を譲り受け、命日の10月15日に法要を営む。

 歴史研究家あさくらゆうさんらによると、さなは1838年、江戸で剣術道場を開いていた
千葉定吉の娘として誕生した。伯父は北辰一刀流を創始した剣豪の周作。修行中だった
龍馬と道場で知り合い、いいなずけになったとされる。

 龍馬はその後、土佐へ帰って脱藩。薩長連合の成立に奔走し、お竜との結婚なども経て、
67年に京で暗殺された。一方、龍馬と疎遠になったさなは、明治維新後に横浜で元鳥取藩士と
結婚したが、間もなく離縁した。東京の千住へ移り住んで、きゅう治院を開くと評判を得るなどして、
96年に58歳で亡くなった。

 あさくらさんが公開を求めた東京都の無縁墳墓改葬許可証によると、さなの遺体は
死亡4日後の10月19日、東京の谷中霊園に、同居していたはまの夫である熊木庄之助の名で土葬された。

 だが、さなが亡くなった後はきゅう治院の経営を巡って親族らの争いも起き、
やがて墓は放置されたとみられる。戦後になり、都市の復興計画で谷中霊園が整理される際も、
引き取り手が現れなかったとし、ほかの墓の埋葬者と共に八柱霊園の無縁塚へ合葬された。

 さなの墓を改葬するのは庄之助の孫で、周作の直系でもある横浜市鶴見区の熊木慶忠さん(80)。
7月27日に親族と霊園を訪れ、無縁塚の石畳の下から採取した土を入れた骨つぼを受け取った。
かつては浅草に所在し、千葉家の菩提(ぼだい)寺として知られた仁寿院には、
はまも眠る熊木家の墓があり、そこへ移すという。

 改葬などのため、霊園が無縁塚の土の譲渡を認めるのは今回が初めて。
慶忠さんは「さなが無縁塚にいると知ったのは数年前で、ゆかりのある者として忍びない思いをしてきた。
早く姉妹を一緒にしてあげたい」と思いを語っている。

千葉日報オンライン 8月15日(月)9時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00010000-chibatopi-l12
千葉さなが葬られていた無縁塚を訪れた熊木慶忠さん(右)ら。中央の女性が抱く骨つぼに、譲り受けた土が入っている=7月27日、松戸市の東京都立八柱霊園
no title
398: 幕末まとめ 2016/08/19(金) 15:21:15.55
>>1 
明治維新で名門千葉道場から一転だもんなあ。 
女性が一人で生きていくって大変だった時代だ。 
重太郎が早世したのも祟ったよな。 


13: 幕末まとめ 2016/08/15(月) 15:02:21.13 
龍馬の不倫か 


211: 幕末まとめ 2016/08/16(火) 09:25:41.11 
>>13 
この人との婚約が先 
律儀に龍馬を待ってたんだと思う 


続きを読む

1: 幕末まとめ  2016/05/10(火) 18:50:03.72 _USER*
no title


龍馬の刀と「確認」暗殺時も手元にあったか

5月10日 17時32分

幕末の志士、坂本龍馬が亡くなってから来年で150年になります。京都の博物館に所蔵されている刀が、龍馬が暗殺された際に手元に置いていた刀だった可能性が高いことが最新の研究で分かりました。
これは京都国立博物館などが10日に会見を開いて発表したものです。
京都国立博物館に所蔵されている刀は、昭和の初めごろに龍馬の遺品として坂本家から寄贈されたものですが、刀の特徴が龍馬が使っていた「吉行」銘の刀と異なっていたことから、実際に龍馬の刀かどうかはよく分かっていませんでした。
これについて、京都国立博物館が最新の撮影機器で調査した結果、刃の部分に龍馬の刀に特徴的な模様が僅かに残されているのが確認できたということです。さらに、去年、刀が寄贈された当時の資料が見つかり、その中に火災のため刃を研ぎ直したと記録されていたということで、このため、本来の特徴が分かりにくくなったとみられるということです。
このため、博物館では、この刀が龍馬が京都にいた当時、愛用していたもので、暗殺された際に手元に置いていた可能性が高いとしています。
京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬の刀だと確認できたことは龍馬ファンにとってうれしい発見だと思う」と話していました。
この刀は、ことし10月から京都など全国4か所で開かれる龍馬の特別展で公開される予定です。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160510/k10010515201000.html?utm_int=news_contents_news-main_006


続きを読む

↑このページのトップヘ