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カテゴリ:幕末 > 土佐

1: 幕末まとめ 2016/08/15(月) 14:50:19.13 _USER9
幕末に活躍した坂本龍馬の婚約者とされながら結ばれることはなく、戦後に千葉県松戸市にある
東京都立八柱霊園の無縁塚へ合葬された千葉さなの墓が、今年で没後120年を迎えるのを機に、
千葉家ゆかりの東京都練馬区の仁寿院へ改葬されることになった。さなの妹はまの子孫が
無縁塚の土を譲り受け、命日の10月15日に法要を営む。

 歴史研究家あさくらゆうさんらによると、さなは1838年、江戸で剣術道場を開いていた
千葉定吉の娘として誕生した。伯父は北辰一刀流を創始した剣豪の周作。修行中だった
龍馬と道場で知り合い、いいなずけになったとされる。

 龍馬はその後、土佐へ帰って脱藩。薩長連合の成立に奔走し、お竜との結婚なども経て、
67年に京で暗殺された。一方、龍馬と疎遠になったさなは、明治維新後に横浜で元鳥取藩士と
結婚したが、間もなく離縁した。東京の千住へ移り住んで、きゅう治院を開くと評判を得るなどして、
96年に58歳で亡くなった。

 あさくらさんが公開を求めた東京都の無縁墳墓改葬許可証によると、さなの遺体は
死亡4日後の10月19日、東京の谷中霊園に、同居していたはまの夫である熊木庄之助の名で土葬された。

 だが、さなが亡くなった後はきゅう治院の経営を巡って親族らの争いも起き、
やがて墓は放置されたとみられる。戦後になり、都市の復興計画で谷中霊園が整理される際も、
引き取り手が現れなかったとし、ほかの墓の埋葬者と共に八柱霊園の無縁塚へ合葬された。

 さなの墓を改葬するのは庄之助の孫で、周作の直系でもある横浜市鶴見区の熊木慶忠さん(80)。
7月27日に親族と霊園を訪れ、無縁塚の石畳の下から採取した土を入れた骨つぼを受け取った。
かつては浅草に所在し、千葉家の菩提(ぼだい)寺として知られた仁寿院には、
はまも眠る熊木家の墓があり、そこへ移すという。

 改葬などのため、霊園が無縁塚の土の譲渡を認めるのは今回が初めて。
慶忠さんは「さなが無縁塚にいると知ったのは数年前で、ゆかりのある者として忍びない思いをしてきた。
早く姉妹を一緒にしてあげたい」と思いを語っている。

千葉日報オンライン 8月15日(月)9時2分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160815-00010000-chibatopi-l12
千葉さなが葬られていた無縁塚を訪れた熊木慶忠さん(右)ら。中央の女性が抱く骨つぼに、譲り受けた土が入っている=7月27日、松戸市の東京都立八柱霊園
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398: 幕末まとめ 2016/08/19(金) 15:21:15.55
>>1 
明治維新で名門千葉道場から一転だもんなあ。 
女性が一人で生きていくって大変だった時代だ。 
重太郎が早世したのも祟ったよな。 


13: 幕末まとめ 2016/08/15(月) 15:02:21.13 
龍馬の不倫か 


211: 幕末まとめ 2016/08/16(火) 09:25:41.11 
>>13 
この人との婚約が先 
律儀に龍馬を待ってたんだと思う 


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1: 幕末まとめ  2016/05/10(火) 18:50:03.72 _USER*
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龍馬の刀と「確認」暗殺時も手元にあったか

5月10日 17時32分

幕末の志士、坂本龍馬が亡くなってから来年で150年になります。京都の博物館に所蔵されている刀が、龍馬が暗殺された際に手元に置いていた刀だった可能性が高いことが最新の研究で分かりました。
これは京都国立博物館などが10日に会見を開いて発表したものです。
京都国立博物館に所蔵されている刀は、昭和の初めごろに龍馬の遺品として坂本家から寄贈されたものですが、刀の特徴が龍馬が使っていた「吉行」銘の刀と異なっていたことから、実際に龍馬の刀かどうかはよく分かっていませんでした。
これについて、京都国立博物館が最新の撮影機器で調査した結果、刃の部分に龍馬の刀に特徴的な模様が僅かに残されているのが確認できたということです。さらに、去年、刀が寄贈された当時の資料が見つかり、その中に火災のため刃を研ぎ直したと記録されていたということで、このため、本来の特徴が分かりにくくなったとみられるということです。
このため、博物館では、この刀が龍馬が京都にいた当時、愛用していたもので、暗殺された際に手元に置いていた可能性が高いとしています。
京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「龍馬の刀だと確認できたことは龍馬ファンにとってうれしい発見だと思う」と話していました。
この刀は、ことし10月から京都など全国4か所で開かれる龍馬の特別展で公開される予定です。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160510/k10010515201000.html?utm_int=news_contents_news-main_006


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1: 幕末まとめ  2015/10/14(水) 15:39:32.34 ID:???*.net
幕末の剣豪・千葉周作が創始した「北辰一刀流」の免許皆伝書を坂本龍馬が取得していたことを示す文書を、
高知県立坂本龍馬記念館が初めて確認した。千葉一門の道場で剣術を学んだ龍馬は、後世の証言などから
剣の達人だったとする説がある一方、剣術の皆伝書が現存しないため疑問視する説もあった。
剣の達人だったことを裏付ける貴重な史料になりそうだ。

 北海道にある坂本家が今夏、同館に寄贈した龍馬の関連史料の中から見つかった。同館によると、
皆伝書の存在を示す文書は、7代当主の弥太郎が明治43年8月30日付で、龍馬のおいの妻に書いた預かり書。
北海道で行われた坂本龍馬遺品展に出品する際に書き記したもので、秘伝巻物として「北辰一刀流兵法皆伝」
「北辰一刀流兵法箇条目録」「北辰一刀流長刀(なぎなた)兵法皆伝」-と書かれていた。

 さらに、別の展覧会に出品した(龍馬の)遺物の目録(昭和4年)では、
「千葉周作ヨリ受ケタル皆伝目録ハ全部焼失セリ 於釧路市」と書かれていた。
これらの記述から、大正2年に釧路で起きた大火で坂本家が延焼した際、
剣術の皆伝書は焼失したとみられる。現在、北辰一刀流の長刀の皆伝書は残っている。

 前田由紀枝・学芸課長の話「記述を確認して本当に驚いた。
北辰一刀流の(剣術の)皆伝書の存在を示した初めての史料といえる。
今後の調査研究が重要となるが、(龍馬が剣の達人かどうかの)論議にも一石を投じるものだ」

画像 「北辰一刀流兵法皆伝」などの記述が残されていた預かり書の一部(コピー)(写真:産経新聞)
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http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151014-00000102-san-cul 


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