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カテゴリ:幕末 > 新撰組

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1: 幕末まとめ 2017/04/10(月)08:01:59
そら朝敵の汚名も不可避ですわ

5: 幕末まとめ 2017/04/10(月)08:04:00 
何で会津藩はわざわざ東北連中巻き添えにして抵抗したんや
折角無血開城が行われたんやから大人しく新政府に恭順しとけば
朝敵にならず会津人も大勢死なないで済んだんやで 


7: 幕末まとめ 2017/04/10(月)08:15:55 
>>6
下っ端と同レベルの殿様連中ですか
そら東北まとめて粛清されますわ 


10: 幕末まとめ 2017/04/10(月)08:21:15 
>>7
まあ一応その前に政治とか焼き討ちでそれなりの火種はあったんやで?
ただ戦い足らん(武力を誇示し足らん)新政府の思惑にまんまと乗った上に揃いも揃ってポカを連発したのも事実 


13: 幕末まとめ 2017/04/10(月)08:23:30 
>>10
つまり会津側からすれば自分も徳川に続いて降伏したかったのに
無理矢理自分ら潰そうとしてきたから抵抗しただけってことか? 


17: 幕末まとめ 2017/04/10(月)08:29:04 
>>13
会津からすればそうかもしれんな、もう江戸幕府は無いんやし
ただ雄藩連合構想の時代から薩長はおろか土佐に対してもヘイト貯め過ぎた
さらに京都にいた癖によそへのパイプが碌に無かった 

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1: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:30:50.21 _USER9
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 幕末の京都で、長州や土佐などの過激派志士が襲撃された「池田屋事件」の際、
2階に踏み込んだ新選組局長の近藤勇が発した第一声は、将軍や主君の意思であることを示す「御上意」だった可能性があることが18日、
宮内庁宮内公文書館に保管されている会津松平家の資料で分かった。

 ドラマなどでは「手向かいすれば容赦なく斬る」と警告する場面が多いが、今回の資料にこの言葉はなかった。
これまで知られていなかった新たな言葉の登場は、歴史ファンの関心を呼びそうだ。

 資料は「維新階梯(かいてい)雑誌」で、会津藩主松平容保が京都守護職になった1862年以降の出来事を明治時代に編さん。
一部が引用されるなどして存在は知られていたが、31冊が同館にそろっているのを埼玉県の歴史研究家、伊藤哲也さん(47)が確認した。

 64年の池田屋の場面では、近藤が亭主とやりとりした後、2階に上がると6、7人が車座になっていたと記述。
「座中を割って奥へ赴けば、一同(刀を)抜いて斬り掛かってきた」「此の方御上意と大音声で(叫んで)踏み込んだ」と続く。
後に近藤が「(相手は)御上意に恐れをなした様子。いまだ徳川のご威光は尽きず」と述懐したとも書かれている。

 これまでは、1階にいた幹部隊士で、大正まで生きた永倉新八の回顧録から、近藤はまず「手向かい致すにおいては容赦なく斬り捨てる」と警告したとされてきた。

 新選組はこのころまだ目立った功績がなく、近藤は攘夷を実行しない幕府に失望し、解散の意向を伝えるなど進退に悩んでいた。
しかし事件後、幕府を支える傾向を強めていったとされる。

 新選組研究の第一人者として知られる菊地明さんは「上意という言葉は初めて知った。『手向かい致せば』も言っていたとしても矛盾はしないと思う。
予想外に相手がひるんだので将軍の威光を見直し、あくまで徳川が力を持つことで攘夷を目指す思想につながったのかもしれない。膨大な資料は大きな価値がある」としている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17HAK_Y6A610C1CR0000/


4: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:32:52.52
か、階段落ちは? 
階段落ちは有ったの?

422: 幕末まとめ  2016/06/19(日) 01:25:29.17
>>4 
ぎ・・銀ちゃん・・・

21: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:45:32.15
近藤や永倉って、土方部隊が遅かったらここで死んでたんだよね

24: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:51:08.55
>>21 
そうでもない

371: 幕末まとめ  2016/06/19(日) 00:22:43.34
>>21 
それは無い。 
土方隊が斬ったのはその場から逃げ出そうとした連中。


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1: 幕末まとめ  2016/07/15(金) 08:33:28.48
新選組、斎藤一の写真見つかる 震災や戦災逃れ子孫に 

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 新選組の幹部として活動した斎藤一(提供写真) 

 江戸時代末期に反幕派を取り締まった新選組の幹部として活動し、明治維新後も生き残った斎藤一について、明治30年の1897年に 
妻や息子2人と共に撮影した写真が残されていたことが15日、歴史研究家のあさくらゆうさん(47)や子孫らへの取材で分かった。 

 斎藤は残された史料や写真が非常に少なく謎が多い人物とされており、これほど鮮明な写真が見つかるのは珍しい。 

 維新後に藤田五郎と名乗った斎藤を巡っては、西南戦争で政府側に従軍し、警視庁にも勤務したことなどを示す恩給関係の史料が 
国立公文書館に保管されていたことが昨年判明している。 
(2016年07月15日 06時11分 更新) 

http://www.sanyonews.jp/article/382010/1/
461: 幕末まとめ  2016/07/15(金) 09:39:05.61
ええやん風格あるわ


2: 幕末まとめ  2016/07/15(金) 08:30:25.92
イケメン…か!?


4: 幕末まとめ  2016/07/15(金) 08:30:55.33
牙突零式
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1: 幕末まとめ  2016/05/13(金)22:58:20 ID:L5a
ゆっくりあっさりいくで

2: 幕末まとめ  2016/05/13(金)22:59:08 ID:L5a
第1章浪士組結成

幕末の京都は政治の中心地であり、諸藩から集まった尊皇攘夷派の志士たちが、天誅の名の下に人を斬り治安が悪化していた。


彡(-)(-)「このままでは京の治安は悪化の一方やなんとかせなあかん。」

(´●ω●`)「だったら腕の立つ浪士たちを集めて京の治安維持に当たらせたらどうだい?」


清河八郎による献策により幕府は浪士組の結成を決定。江戸にてその求人が行われたのであった。そして200人余りのものたちが名乗りを上げた。


彡(゚)(゚)「ワイたちが本物の武士になるチャンスや!やったるで!」

(´・ω・)「尽忠報国だよ。トシさん。」


その中には後に新撰組の中枢を担うことになる、天然理心流試衛館の、近藤勇をはじめとする志士たちもいたのであった。


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1: 幕末まとめ  投稿日:2016/04/21(木) 18:50:59.92
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土方歳三の愛刀を展示へ

 新選組で副長を務めた土方歳三が戊辰戦争で用いたとされる刀「大和守源秀国」を京都市東山区の霊山歴史館が新たに収蔵し、21日に報道陣に公開した。
29日から常設展示する。

 刀の付け根には、土方の本名である「義豊」と、戦闘で使用されたことを示す「幕府侍土方義豊戦刀」の文字が刻まれている。
旧幕府軍で土方の上官だった会津藩士が譲り受けたことも刀に記されている。
戊辰戦争中の1868年に一緒に戦闘に参加した上官に刀を贈ったとみられる。

 東京都在住の個人研究家が所蔵していたものを今月、幕末や明治維新の史料を集めている歴史館が購入した。

http://www.daily.co.jp/society/culture/2016/04/21/0009011228.shtml 
 


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