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カテゴリ:幕末 > 議論

1: 幕末まとめ 2017/10/08(日) 06:47:52.37 _USER9
明治時代に創業し現在も存続する企業が占める割合は、1・3%の北陸が地域別で最も高いことが東京商工リサーチの調べで分かった。都道府県別では山形県の2・0%が最高だった。担当者は「伝統を重視する土地柄や堅実な地域性が背景にある」と分析している。

 明治元年から来年で150年となるのに合わせ、同社が約311万社の企業データベースを基に調査。各都道府県に本社を置く企業のうち、明治時代に創業した企業が占める割合を計算した。

 明治創業の企業は、全国で計2万1799社となり、全体の0・7%だった。北陸に現存する明治創業の企業は922社だった。
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017100701001281.html
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1: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 14:57:49.28 BE:155743237-PLT(12000) ポイント特典
1
「幕末、最強の剣士」は結局のところ誰なのか「坂本龍馬、沖田総司、高杉晋作…」総合力は?
東洋経済 2017年07月26日

2017年6月、坂本龍馬が書いた直筆
手紙が新たに発見されました。

この手紙は、彼が暗殺される1年前の
慶応2年(1866年)に、兄・権平らに送ったものです。
手紙の前半には、その年の1月に遭遇した
「寺田屋での襲撃事件」が詳細に記載されています。

薩長同盟成立後、幕府は、これを仲介した龍馬を
指名手配し、潜伏先だった旅館「寺田屋」を襲撃しました。

このとき、数に勝る幕府の役人は、
龍馬を追い詰めながらも、
なかなか斬り込めませんでした。

それは、龍馬のもつ拳銃が脅威だったこともさることながら、
龍馬が「剣の達人」であるのを幕府側が知っていたからです。
終始尻込みした幕府の役人たちは、ついには彼を取り逃がしてしまいます。

幕末期には、龍馬をはじめ、新選組など
数多くの優れた剣士たちが各方面で活躍していましたが、
はたして誰がその中で「最も強かった」のでしょうか。

(後略)
http://toyokeizai.net/articles/-/180997
4: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:00:44.91 
生き残った奴が最強、って事で 
斉藤と永倉 


6: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:08:53.41 
新撰組はかなり過大評価されてるイメージしかない 


18: 幕末まとめ 2017/07/26(水) 15:20:27.83 
>>6 
弱かったら龍馬みたいに斬り殺されてる
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1: 名無しさん 2017/07/05(水) 14:31:31.20 _USER9
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公共交通機関が未発達だった1893(明治26)年4月、松江市の県第一尋常中学校(現・松江北高)が、徒歩を中心にした全行程約500キロの修学旅行を実施していた。
鳥取県米子市の地域文化研究誌「伯耆文化研究」がこのほど発行した第18号で、こんな事例を紹介している。
山陰では修学旅行の草分けとみられるが、124年前の生徒たちは現在では想像できないほどの健脚ぶりだったようだ。【小松原弘人】

伯耆文化研究会の理事で郷土史家の岩佐武彦さん(78)が、米子市立図書館と島根県立図書館(松江市)で山陰新聞(現・山陰中央新報)の記事「三道旅行記」を発見した。
三道は山陰道、山陽道、南海道を指しており、同行した記者が執筆して同紙で随時掲載された。岩佐さんは記事と自身の解説、行程図をまとめた「全行程500キロ 徒歩・川舟・汽船による修学旅行」を寄稿した。

岩佐さんや三道旅行記によると、修学旅行は4月5日から同15日までで、島根、鳥取、岡山、香川、広島県を巡った。
参加者は3~5年の生徒と教師の計81人。行程の約4分の1は汽船、川舟、鉄道を利用したが、残りは徒歩での移動だった。
記事では記者が見た当時の交通事情や世相、それぞれの地域の様子を詳細に記録している。

初日には鳥取、岡山県境にある残雪の四十曲峠(770メートル)を踏破しており、記事は「足の疲れがひどく、寒さも甚だしく、耐え難い」と苦労ぶりを記述。
岡山では市街地や医学校、紡績工場を、香川では屋島の源平合戦古戦場や高松城、金刀比羅宮など見学した。
紡績工場では「電灯こうこうとして輝き」「発電機あり」「大機械あり」と驚きが書かれている。深夜や未明に出発することもあった。
汽船で松江に帰った夜は、下級生らが拍手と歓声で出迎えたという。

当時の服装は、1903(明治36)年に修学旅行をした第二中学校(現・米子東高)の創立90周年記念誌にある「木綿の筒袖、はかま、制帽、脚半、草履、布鞄」に似ていたとみられる。
岩佐さんによると修学旅行は1892(明治25)年ごろから広まりだし、「当時、記者が同行するほど注目されていたが、現代とは全く趣が異なったようだ。記事も当時の社会をよく伝えており、貴重だ」と話している。

修学旅行の行程図=「伯耆文化研究」第18号から


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170705-00000014-mai-soci


31: 名無しさん 2017/07/05(水) 14:43:35.33 
>>1 
>記事は「足の疲れがひどく、寒さも甚だしく、耐え難い」と苦労ぶりを記述。  

当時の人間でも疲労困憊じゃねえか 


335: 名無しさん 2017/07/05(水) 17:39:23.09 
>>31 
初日は雪山登山だからな 
よーやるわ 


338: 名無しさん 2017/07/05(水) 17:41:30.09 
>>335 
大山山麓だから相当急峻だよ。仮に四国の剣山だったら死人出るな。 

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1: 幕末まとめ  2017/04/19(水)15:25:30 ID:???
1

借りた幕末の屏風絵、変色させ返却…修復できず

 熊本市現代美術館は18日、高知県香南市の文化施設から借り受けた幕末の絵師金蔵きんぞう
(1812~76年)作の屏風絵びょうぶえ5点を誤って変色させ、完全に修復できないまま返却したと発表した。

 同館の指定管理者の熊本市美術文化振興財団は「できる限りの処置をしたが、元に戻らず、申し訳ない」としている。

続き 読売新聞・会員記事
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170419-OYT1T50037.html

2: 幕末まとめ  2017/04/19(水)15:30:12 
どーやって
変色させたんだ 日当たりの良いところで日晒し??? 

5: 幕末まとめ  2017/04/19(水)15:34:16 
日本中探せば、修復できる人間はいるはずだから、その修復代金を熊本が出すしかないな。 


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1: 幕末まとめ 2017/04/11(火) 09:25:39.39 _USER
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NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」の主人公、
井伊直虎は、今川方から井伊家に入った井伊次郎だったと幕末に記した史料が新たに見つかり、
井伊美術館(京都市)が10日、発表した。
ドラマ上では、井伊直盛の娘「次郎法師」が直虎を名乗っているが、
同美術館は直虎・男説を補強する史料としている。


 昨年も、別史料から直虎は今川家重臣の息子・井伊次郎だったと発表していた。
同美術館によると、直虎の名前が書かれた文書は「次郎直虎」と書かれた
永禄11(1568)年の書状だけで、今回が2例目という。


 新史料は、井伊家の家臣に伝来した「河手家系譜」。
文政13(1830)年ごろにまとめられ、幕末に加筆された。
加筆部分で「井ノ直虎」は「次郎也」とあり、
「今川之物也」と説明。次郎法師は直盛の娘との記述もあった。


 永禄11年、徳川家康が井伊家の本拠地だった遠江(静岡県西部)に侵攻した際
「直虎は花沢(焼津市付近)に逃げる途中に討ち死にした」と最期の様子も記していた。


 大河ドラマの時代考証を務める小和田哲男静岡大名誉教授(戦国史)は
「幕末の二次史料ながら、河手家系譜の『この次郎は御家にあらず。今川のものなり』と、
『井ノ直虎』の横に朱字で『次郎也』とある部分は注目される。
史料紹介なり論文の形で公になった時点で検討したい」とコメントしている。

産経ニュース
http://www.sankei.com/life/news/170411/lif1704110008-n1.html
8: 幕末まとめ 2017/04/11(火) 09:34:59.83 
別にどっちでもいいけど 
一般論で言うなら300年後近い幕末の史料じゃ補強材料にならないのでは 

46: 幕末まとめ 2017/04/11(火) 15:53:11.17 
>>8 
それ言うなら直虎の存在なんて史料ほぼ皆無の妄想になってしまう 


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