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カテゴリ:明治 > 出来事

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1: 名無しさん 投稿日:2014/09/19(金) 19:11:33.26
 さて、鹿鳴館の開館式はものすごい気合いが入っていました。
 そのときの様子を、明治16年11月29日の東京日日新聞より引用しておきましょう。

《玄関の正面には菊御紋の紫幕を張り、その上に鹿鳴館なる3字の花瓦斯(はながす)を点火し、庭の内外には藍赤の中白に鹿を書きたる数千の毬燈を掛け、表門には青葉の円形飾りに菊の花を挿みて国旗を交差し、その装飾厳然たり。
 さて外務卿の招待に応じ、皇族、大臣、参議を始めとして、各省の勅奏任官並びに各外国公使、在野の紳士等、午后6時頃より前後相継ぎて参館し、やがて坐席も定まりたる頃、庭の左右に整列したる海陸軍楽隊楽を奏し、終わりて更に晩餐の饗応あり。
 また同館下の日比谷練兵場にて昼花火30本、夜花火77本を打ち揚げ、かつ同館御用達方の花火23本をも打ち揚げて余興を添えられ、実に近頃珍らしき盛式にてありし》
 
 鹿の書いてある数千の電灯って、かなり不思議ですが……。

 さて、この日の祝宴会は井上外務卿夫妻がホスト役となって、諸親王やら大臣、参議、各国公使、東京府知事、警視総監、駅逓総官などなどのお歴々が、夫婦揃って総勢約80人。
 豪華な食事会が終わると、夜の8時半から、1200人(!)の招待客を集めた大踏舞会が開催されました。
 そして、午前1時、横浜から来た来賓が新橋発の臨時汽車で帰りますが、東京在住の人々は午前2時くらいまで大騒ぎしていたんだとか。

 さて、調子に乗った(笑)明治の高官たちは、その後もダンス三昧の日々。数年もたつとものすごくダンスが上手になったそうで、これには来日したイギリス人がビックリしています。
 そのイギリス人、日本のダンス文化にこんなしょうもない文句を付けています。

「日本の舞踏会には老婦人が多すぎる! ヨーロッパでは舞踏は若い婦人しかしないのに!」(郵便報知、明治18年7月12日)

 なんじゃそりゃ?? 
 ま、いくらダンスが盛んになっても、妻に何を着せていいかわからないから同伴はイヤだとか、燕尾服なんて着られないとかで、日本の紳士はエチケットがなっとらんと、ずいぶん後まで批判されるんですけどね。


 さて、明治20年(1887)4月20日、ダンス大好きの伊藤博文が首相官邸で仮装パーティを開きました。

 このとき伊藤博文がベニスの貴族に、山県有朋が甲冑姿に変身して、そのあまりの脱線ぶりに天下騒然となりました。
 世論は「亡国だ」と沸騰し、結局、「外交の不手際」ということで、井上が外務大臣を辞任しています。

 明治人は偉大だったなんて言いますが、本当にそうなのか、ちと疑問に思う展開ですな(笑)。
http://www.tanken.com/rokumeikan.html

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1: 名無しさん 投稿日:2013/11/19(火) 23:30:26.94
韓国併合に反対だった伊藤博文を暗殺したんだよね?
つまりはそーゆーことだろ

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/04/26(土) 09:53:43 ID:XsNLZn5k0
歴史上の有名人との接触
歴史上重要な出来事に関わった話
先祖が英雄で、身内しか聞けない話
その他、どうでもいいがおもしろい話


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1: 学生さんは名前がない 投稿日:2013/08/17(土) 01:43:15.01
語ろう

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2007/01/08(月) 00:20:44
相当激しい内戦だったようですね。
アメリカの civil war にも匹敵するくらいの。
西南戦争がもたらしたものは何だったのか、みんなで考えていきましょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%8D%E6%A6%E4%BA%89

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