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カテゴリ:明治 > 人物

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1: 幕末めとめ 2017/03/20(月) 19:25:02.75 ● BE:544270339-PLT(13000) ポイント特典
石原元知事「天気晴朗なれど...」 百条委前、「日本海海戦」持ち出した意図

東京都議会の百条委に向かう前、石原慎太郎・元都知事は2017年3月20日正午前、自宅前で記者団に心境をきかれ、
「天気晴朗なれど(も)波高し」と答えた。

「天気晴朗~」は、日露戦争中に行われた日本海海戦(1905年)の出撃の際、日本の連合艦隊(東郷平八郎・司令長官)が
東京の大本営に打電した文言の一部で、「名文」との指摘もある言葉だ。
石原氏は3月3日の記者会見前には、自宅前で心境について「果し合いに出かける侍」と語っていた。

安倍首相は、衆院解散前に...

石原氏は3月20日、百条委へ向かうため車に乗り込む際、記者団から「現在の心境」を質問され、「天気晴朗なれど(も)波高し」と答えた。
その後、「君ら教養ないから分からんだろ」とも。

「天気晴朗~」は、政財界の関係者も時折使う言葉としても知られる。たとえば、時事通信(2016年3月16日)によると、
就任を間近に控えた日本郵政の長門正貢・次期社長(当時)は、抱負を語る中で「天気晴朗なれども波高し」と述べ、
障害はいろいろあるが、「グループ全社一丸となって大海原に繰り出して、大航海をエンジョイしたい」と続けている。

安倍晋三首相も使っている。2014年11月17日、安倍首相は公明党の結党50周年会合に出席し、経済政策「アベノミクス」について、
「天気晴朗なれども波高し、という状況かもしれない」と述べた。これが、日本海海戦の直前に打電された文言である事を受け、
当時、複数のマスコミが、衆院解散が近い事を示唆する発言として注目し報じた。実際、この年の11月21日に衆院が解散された。
もっとも、同じ言葉であっても、先の長門氏と安倍首相とでは、使用する文脈・心境は異なるようだ。

(続く)
http://www.j-cast.com/2017/03/20293501.html?p=all


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1: 幕末まとめ  2017/03/06(月) 22:05:01.23 BE:822935798-PLT(12345) ポイント特典
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坂本龍馬など輩出した高知 「志国高知 幕末維新博」開幕

https://www.kochinews.co.jp/article/83698/


4: 幕末まとめ  2017/03/06(月) 22:07:16.85 
司馬遼太郎のせい 


68: 幕末まとめ  2017/03/06(月) 22:37:19.59 
>>4 
ほんまにこれにつきる 


269: 幕末まとめ  2017/03/07(火) 00:41:18.34 
>>4 
そんなことはない 
明治の頃から龍馬ブームはあった 


9: 幕末まとめ  2017/03/06(月) 22:08:55.77 
若いうちに暗殺されて晩節を汚してないからだな
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1: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 20:37:44.63 BE:194767121-PLT(12001) ポイント特典
長州方に属した薩摩脱藩士
https://373news.com/_bunka/jikokushi/?storyid=8387

22: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 21:07:18.78 
>>1 
実際にそう言ったかどうかは分からんけど 
新しく政府を統一して 
これから近代国家の常備軍を作ろうという時に、 
閉鎖的で独自の思想で動いてるような屈強な薩摩軍は 
絶対邪魔になると思ったんだろうな。 
薩摩が反乱を起こすことを想定して 
大村益次郎は軍事施設を大阪や京都に置いたり 
四斤砲を密かに大量に製造しとくよう命じるなど 
死ぬ前に様々な対策をしている。 


27: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 21:11:40.18 
>>22 
西郷も西郷で自分の歴史的役割は武士の世の終わりの生贄って解ってたと思うけどな 


5: 幕末まとめ 2017/02/21(火) 20:42:11.89 
上野口の攻め方を薩軍に割り振ったときの話かな 
史料残ってるんだっけ? 

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1: 名無しさん 2016/07/27(水) 23:55:02.09 _USER
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引用元:毎日新聞 2016年7月27日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20160727/ddl/k44/040/266000c
引用元:大分合同新聞 2016年7月27日 朝刊
http://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/07/27/003223450

西日本では唯一

 明治の思想家・福沢諭吉(1835~1901年)が書いた「学問のすゝめ」の初版本が、諭吉が少年時代を過ごした中津市で見つかった。郷土史研究家だった故・今永正樹さん(1906~88年)の妻百合子さん(86)=同市在住=が市歴史民俗資料館へ寄贈した郷土資料約1600点に含まれており、市が26日に発表した。【大漉実知朗】

 「学問のすゝめ」の初版本は現在、慶応義塾福澤研究センターが3冊所蔵。また東大付属近代日本法政史料センターなどに計5冊ある。今回は9冊目の発見で、西日本では唯一だという。

 市社会教育課文化財室の学芸員、曽我俊裕さん(26)によると、見つかった本(縦18センチ、横11・5センチ)の保存状態は良好。文字に凹凸があり、鉛活字による活版印刷だったことが決め手になった。

 寄贈された資料には当時の最先端技術だった活版印刷で増刷が追いつかず、2版以降に木版へ切り替えた一回り小さい本もあった。活版と木版の比較もできる貴重な資料だ。

 「学問のすゝめ」は明治5(1872)から9(1876)年に17の小冊子シリーズとして出版された。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という有名な言葉は初編の冒頭にある。

 福澤研究センターの西沢直子教授は「当時の大ベストセラーで、現存する多くは再版された木版本。活版による初版本は極めて珍しい。初編は元々、中津の人たちに宛てたメッセージだったので、中津の旧家から見つかったことは意義深い」。曽我さんは「最後のページに『京町 中村』と書かれており、今永さんが地元の中村さんという人から譲り受けたのでは」と話す。

 県立先哲史料館の大津祐司館長(日本近世史)によると、「学問のすゝめ」は諭吉が設立に尽力した中津市学校の生徒に向け、学問の極意をつづったものとされる。「立派な教えの言葉だったので増版を重ね、全国に広まった。その初版本が中津にあったとは」と驚いていた。

 今永さんは1956年~65年に市立図書館長などを務め、「年表・福澤諭吉」など著書多数。今回発見された初版本と再版本は30日~10月2日に、同市留守居町の福澤記念館で公開される。

福沢諭吉
http://www.oita-press.co.jp/~/media/Images/oita-press/2016/07/27/J200902120415_BI_JPG_00.ashx
中津市で見つかった「学問のすゝめ」初版本
http://www.oita-press.co.jp/~/media/Images/oita-press/2016/07/27/J201607260569_BI_JPG_00.ashx


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