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カテゴリ:幕末 > 奥羽越列藩同盟

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1: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/03(金) 23:24:25
語ろう。
3: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/03(金) 23:51:31
楢山佐渡は知らんな。 
紹介してくれ

4: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 00:05:52
楢山佐渡(1831-1869) 南部藩家老 

代々家老職にある楢山家に生まれる 
南部利剛が藩主になると重用されるが、 
一揆の責任を取り辞職し、一時藩政から離れる 
戊辰戦争時、佐幕を主張し、 
列藩同盟を裏切った秋田藩を討つべしと主張する 
しかし、楢山が藩政から離れていたときに代わりに起用された東中務がこれに反対し、 
全面対決することになる 
そして、この藩内抗争に勝利し、 
自ら鹿角口攻撃軍の総大将として攻撃するが官軍を破ることができず 
盛岡藩を窮地に追い込む 
1869年、戦争責任を負い、報恩寺で自刃する 
享年39歳

7: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 02:06:09
楢山佐渡は浅田次郎の「壬生義士伝」の大野次郎右衛門のモデル
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1: 影のたけし軍団ρ ★ 投稿日:2013/09/06(金) 09:43:41.65
明治維新から続く会津―長州の確執はつとに有名だが、日本各地には他にも至る所で「郷土紛争」が繰り広げられている。
歴史的な因縁から、餃子や芋煮といった名産品の取り合いまで……。当事者たちにとっては郷土の威信をかけた闘いなのだ。

「青森や弘前は津軽藩で、八戸や下北半島は南部藩。南部は岩手県の久慈市のほうに親近感がある。
だいたい、戊辰戦争であっさり官軍に寝返った津軽藩は信用できない」(八戸市在住・60代男性)
と、同じ青森県なのになにやら冷たい雰囲気が漂う津軽地方と南部地方。

「県庁所在地は青森市にあるし、青森のねぶたや弘前のねぷたは世界的に有名。
りんごはもちろん、米もこちらのほうがよく穫れる」(青森市在住・50代男性)

青森市民が、こう我こそが上だと主張すると、

「八戸には八戸三社大祭がある。新幹線の開通だって八戸が先だった。それに津軽はフジテレビが映らないが、
南部地方の一部はフジ系の岩手めんこいテレビが映る」(前出・八戸市民)と、テレビのチャンネル数まで持ち出して対抗心をメラメラ燃やしている。

もともと津軽地方は南部藩の支配下にあったが、1588年に南部藩の家臣が独立し、豊臣秀吉に津軽地方の支配権を認めさせた。
戊辰戦争の遺恨から、南部の人のなかには「津軽の人間とはつき合わない」と公言する人も多い。

かたや津軽側にも、合併で青森県ができたときに南部藩の借金を肩代わりさせられたことへの恨みが残る。
八戸-青森(新青森)間は新幹線でわずか25分だが、心の距離はなかなか縮まらないようだ。
http://www.news-postseven.com/archives/20130829_206419.html

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/16(土) 23:27:40
もっと強いと思ってたのに
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/17(日) 00:18:08
62万石で実質100万石と言われてたのにね
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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/09/29(水) 01:50:15
会津=反対押し切って京都進出評価分かれる、犠牲甚大
庄内=殿様より庄屋が支えた、洋式軍隊活躍
仙台=借金200万両、額兵隊が善戦、ドン五里の汚名
米沢=朝敵になり謙信公泣く、発言力の不思議
長岡=近代武装で活躍。家老奮戦
秋田=官軍、朝敵仙台藩士始末するも四方攻められ焦土化
南部=家老が薩長批判、同盟に肩入れ
二本松=殿様逃亡、少年隊戦死。
その他=一応参加するも日和見、時流読み状態。
会津・長岡・庄内以外、戦意も士気も上がず連戦連敗。

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1: 生徒もろきみ!φ ★
 鶴岡市と兄弟都市盟約を結ぶ鹿児島市の中学生親善使節団が23日から3泊4日の日程で鶴岡市を訪れ、歴史や風土を学ぶとともに
交流を深めている。

 両市の交流は、戊辰戦争(1867―68年)で庄内藩が降伏した際、薩摩藩の西郷隆盛(南洲)翁の計らいで処罰が寛大だったという
歴史的な縁がきっかけで1969年11月に兄弟都市盟約が締結された。71年からは両市の中学生が1年置きに相互訪問する交流を
続けている。鹿児島からの訪問は22回目。

 今回は鹿児島市立緑丘中学の下畠久雄校長を団長に、同市内の中学2、3年生30人と引率教諭合わせて34人が来鶴した。

 初日の23日は市役所で歓迎式が行われ、鹿児島玉龍中学校3年の吉水元希君が「研修を通して両市のつながりを感じ、交流を
深めたい」とあいさつ。山本益生副市長は「交流の輪を広げ、一生の思い出となるような研修にしてほしい」と歓迎した。

 一行はこの後、国指定史跡の旧庄内藩校致道館を見学。南洲翁と庄内藩の関わりを学んだ。24日は鶴岡市の中学生と致道博物館
や羽黒山五重塔、慶應義塾大先端生命科学研究所などを見学。25日は自然学習交流館「ほとりあ」での研修や加茂水族館見学、
南洲神社訪問などを予定している。

写真=致道館で両市の交流の歴史を学んだ鹿児島の生徒たち
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 http://www.kyodoshi.com/news/10301/ 

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