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1: 幕末まとめ 2018/01/17(水) 18:11:53.75 _USER9
会津若松市に寄贈された会津藩士・山川浩の資料=会津若松市で
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福島県会津若松市に寄贈された会津藩士・山川浩の資料=福島県会津若松市で2018年1月16日、湯浅聖一撮影
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 会津藩士で「会津の知将」と称された山川浩(1845~98年)ゆかりの品が16日、会津若松市に寄贈された。戊辰(ぼしん)戦争勃発の一戦となった1868年の鳥羽伏見の戦いの敗走中、熱病にかかった山川を手厚く看護した和歌山県御坊市の中野家が所有していた資料で、会津若松市の担当者は「会津藩士が苦労して江戸の会津藩邸に帰還したことを具体的に表す貴重な資料」と評価している。今春に一般公開する予定だ。【湯浅聖一】

 山川は会津藩で家老を務めた山川家の長男。若くして家督を継ぎ、藩主・松平容保(かたもり)が京都守護職に就くのに伴って上洛した。戊辰戦争後は斗南藩で大参事となり、その後は陸軍少将、貴族院議員に、98年には男爵に叙せられた。

 戊辰戦争では、鳥羽伏見の戦いで会津藩を率いたものの、敗れて退却。藩士約1800人とともに紀州に落ち延び、小松原村(現和歌山県御坊市)にたどり着いたところで熱病にかかった。当時、紀州藩からは敗走兵をかくまわないように通達が出されていたが、中吉旅館の主人・中野吉右衛門の母でおかみのおこうが献身的に看護し、命を救われて江戸の藩邸に帰った。

 寄贈された資料は、山川が明治政府の役人などになっていた82~89年に中野家の恩義に報いようと、吉右衛門に宛てた感謝の手紙や九谷焼の大皿など9点。山川が学事巡視で和歌山に再訪した際に土産として贈った会津塗りのわんや、大水害時の見舞状などが含まれている。

 吉右衛門のひ孫にあたる中野健さん(64)=横浜市戸塚区在住=が、空き家となっていた実家を調べて発見。今年が戊辰戦争から150年になることから会津若松市への寄贈を決めた。中野さんは「親などからも聞かされていなかったので驚いている。ゆかりのある会津若松市と歴史を共有し、交流につながれば」と話している。

 市教委文化課の近藤真佐夫主幹は「会津藩が戊辰戦争で『賊軍』と言われたにもかかわらず、親身になって世話や交流を続けてくれたことに感謝したい。山川の資料は地元でも少ないので、今後資料を分析したい」と話した。市は4月下旬にも市歴史資料センター「まなべこ」で一般公開したい考えだ。

毎日新聞 2018年1月17日 地方版
http://mainichi.jp/articles/20180117/ddl/k07/040/280000c?inb=ra


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1: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 16:12:01.70 _USER9
坂本龍馬が剣術大会で桂小五郎に敗れたことを記す史料(群馬県立文書館所蔵)
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坂本龍馬と桂小五郎が対決――。幕末志士の両者が1857年(安政4年)3月1日、江戸・鍛冶橋の土佐藩上屋敷で催された剣術大会で対戦し、2対3で龍馬が敗れたと記録する史料が、前橋市の群馬県立文書館に保管されていることが30日、分かった。歴史研究家、あさくらゆうさん(48)が存在を確認した。

 藩主、山内豊信(後の容堂)の上覧試合とされた大会を巡っては、これまでも複数の史料の存在が伝えられている。だが、開催された日が既に龍馬が江戸を去った後だったり、小五郎の名前が当時は使用していない「木戸準一」だったりするため、いずれも「偽書」というのが定説。山内家の日記などにも記録はなく、大会そのものが作り話とされている。

 文書館によると、今回の史料は前橋藩領だった上州・中箱田村(現群馬県渋川市北橘町箱田)で名主を務め、医院も営んだ「根井家」に伝わり、1994年に寄託された。

 折り畳んだ縦約16センチ、横約1メートルの和紙で、冒頭に「安政四三月朔日 松平土佐守様上屋敷ニ而御覧」と記載。龍馬らに加え、著名な剣客だった斎藤弥九郎(2代目)や石山孫六、海保帆平ら計43人が、一対一で戦った22試合の結果を毛筆で縦書きに記している。

 あさくらさんによると、この時期の龍馬は江戸遊学中で、土佐藩上屋敷近くにあった北辰一刀流の千葉道場(玄武館)で修行。小五郎も、盛んに対外試合をした神道無念流の斎藤道場(練兵館)で腕を磨いた。

 史料は各剣士の出身や流派も正確に記し、一部は別の史料に残る後日の足取りとも矛盾がない。大会には上州出身者も出場したため、試合結果の書き付けが根井家に残された可能性があるとみている。

 龍馬は今年で没後150年。あさくらさんは「この史料だけで断定はできないが、実際に大会があったのか、もう一度議論するきっかけになる。近年は龍馬の剣術が特に優れていたとする傾向もあるが、小五郎には負けたとある。イメージではなく、本当の姿はどうだったのか考えていくことが大切だ」と話す。〔共同〕

配信2017/10/30 12:30
日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO22865490Q7A031C1CR0000/

222: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 17:58:35.40 
最近、新資料の発見多くない?

35: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 16:30:09.89 
出海「坂本さん、あんたわざと負けたろ?」 
龍馬「ニィッ」 


38: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 16:31:47.47 
「逃げの小五郎」で有名で、めったに剣は交えなかったんじゃなかったっけ? 


41: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 16:33:22.24 
>>38 
実戦はやらなくても道場の大会には出るだろう。 


44: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 16:34:59.84 
>>38 
剣術の達人だからこそ、勝ち目が見えなければ躊躇なく逃げを選択できるとかなんとか 


86: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 16:50:57.73 
>>38 
逃げ切れるのはそれなりに強いからじゃね 
つか武士なんだから必須科目だろ 下手じゃ出世もできないのでは 


90: 幕末まとめ 2017/10/30(月) 16:52:59.70 
>>86 
そう。 
池田屋襲った新撰組の戦法が、数人で相手を取り囲んでのフルボッコ戦法だから、 
どんなに剣術が強くても、新撰組が来たら同じ人数でない限り、逃げないと倒されるわw 

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1: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 14:37:40.93 _USER9
龍馬「大笑」、寺田事件経緯記した手紙を初公開

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170826-OYT1T50077.html

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公開された手紙。左端に「龍馬」の署名が見える(高知市の県立高知城歴史博物館で)

 幕末の志士・坂本龍馬が1866年(慶応2年)、伏見奉行所の役人に襲撃された「寺田屋事件」の経緯を家族宛てに記した手紙が26日、高知市の県立高知城歴史博物館で初めて一般公開された。

 10月23日まで。

 縦25センチ、横24~34センチの計6枚で、末尾に「十二月四日」の日付と龍馬の署名がある。
手紙には、事件の一報を聞いた西郷吉之助(隆盛)が短銃に弾を込めて救助に向かおうとしたことや、龍馬が伏見の薩摩藩屋敷に逃れた後、西郷や小松帯刀(たてわき)らと事件について話し、「大笑」したことなどがつづられている。

 昨秋、県外の個人が所有しているのが判明。当初は県が購入する方針だったが、所有者の意向で寄贈された。

 会場を訪れた埼玉県熊谷市の公務員の男性(50)は「西郷との交流の詳細などがびっしりと書き込まれていて、龍馬の息づかいが伝わってきそうですね」と見入っていた。

11: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 14:57:30.81 
武田鉄矢の映像で再生された。なんとかして下さい(´・ω・`) 


15: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 15:02:46.95 
>>11 
良かったわたしは福山 


14: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 14:59:25.97 
みなもと太郎先生が喜んでそう 

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1: 幕末まとめ 2017/09/14(木) 00:03:57.34 _USER9
 幕末の寺田屋事件で坂本龍馬が幕府側に襲撃された際、現場に残したとされる書面に薩摩、長州の両藩が協力して幕府側を京都から追い払う取り決めがあったと記した文書が鳥取県立博物館で見つかったことが13日、分かった。下関市立歴史博物館(山口県)の田中洋一学芸員が特別展に向けた調査で発見した。

 慶応2(1866)年の寺田屋事件で薩摩藩邸に逃げ込んで難を逃れた龍馬の荷物の中に残されていたとされる書面に関する文書。識者からは、薩長同盟は軍事同盟だったのかどうかや、龍馬の関与の度合いなどが議論になっているとして「新たな見方を提供する文書だ」と評価する声が出ている。

薩長同盟に関する記述が見つかった「京坂書通写」=13日(鳥取県立博物館所蔵)
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https://this.kiji.is/280678722576188922?c=39546741839462401


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1: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:10:25.39 _USER9 BE:163221131-PLT(33337)
龍馬も通った「岩倉旧宅の正門」初開放 大政奉還150年記念

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国指定史跡「岩倉具視幽棲旧宅」の正門から入った来訪客を出迎える担当者=16日午前、京都市左京区(西川博明撮影)1/1枚

 徳川幕府が政権を返上した「大政奉還」から今年で150年の節目にちなみ、国指定史跡の岩倉具視幽棲旧宅(京都市左京区)で16日、普段は閉鎖している正門を初めて一般開放した。「坂本龍馬も通った正門から入ろう」と題した企画で岩倉具視の命日の20日、23日も開放する。

 旧宅を管理する植彌(うえや)加藤造園(同区)によると、大政奉還前の慶応3(1867)年6月、坂本龍馬や中岡慎太郎が旧宅を訪れ、岩倉に政治の相談を持ちかけた記録が残るという。同社の重岡伸泰さんは「正門を通り、幕末の志士らの気分を体感してほしい」と話す。入場料一般300円。

 一方、ANAクラウンプラザホテル京都(同市中京区)は7日、市民公開イベント「大政奉還で何が起こったか?」を開催。映画「武士の家計簿」の原作者などで知られる歴史家で、国際日本文化研究センター(同市西京区)の磯田道史准教授が解説を行った。

 磯田氏は聴衆約300人を前に、大政奉還の意義を「日本が外国につけ込まれる隙を与えず、全国の兵乱を小さく抑えることができた」と評価。もし大政奉還がなければ「応仁の乱パート2のようなことも起きただろう」と予想していた。

産経WEST 2017.7.17 08:05

http://www.sankei.com/smp/west/news/170717/wst1707170015-s1.html
3: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:13:14.73 
>>1 
> 磯田氏は聴衆約300人を前に、大政奉還の意義を「日本が外国につけ込まれる隙を与えず、全国の兵乱を小さく抑えることができた」と評価。もし大政奉還がなければ「応仁の乱パート2のようなことも起きただろう」と予想していた。 

玉音放送が本土決戦を回避させたのに似ている 


2: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:11:53.62 BE:163221131-PLT(33337)
大河ドラマで岩倉具視が見たいな 
岩倉遣欧使節団とか超面白そう 


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