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タグ:ニュース

1: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 14:37:40.93 _USER9
龍馬「大笑」、寺田事件経緯記した手紙を初公開

http://www.yomiuri.co.jp/culture/20170826-OYT1T50077.html

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公開された手紙。左端に「龍馬」の署名が見える(高知市の県立高知城歴史博物館で)

 幕末の志士・坂本龍馬が1866年(慶応2年)、伏見奉行所の役人に襲撃された「寺田屋事件」の経緯を家族宛てに記した手紙が26日、高知市の県立高知城歴史博物館で初めて一般公開された。

 10月23日まで。

 縦25センチ、横24~34センチの計6枚で、末尾に「十二月四日」の日付と龍馬の署名がある。
手紙には、事件の一報を聞いた西郷吉之助(隆盛)が短銃に弾を込めて救助に向かおうとしたことや、龍馬が伏見の薩摩藩屋敷に逃れた後、西郷や小松帯刀(たてわき)らと事件について話し、「大笑」したことなどがつづられている。

 昨秋、県外の個人が所有しているのが判明。当初は県が購入する方針だったが、所有者の意向で寄贈された。

 会場を訪れた埼玉県熊谷市の公務員の男性(50)は「西郷との交流の詳細などがびっしりと書き込まれていて、龍馬の息づかいが伝わってきそうですね」と見入っていた。

11: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 14:57:30.81 
武田鉄矢の映像で再生された。なんとかして下さい(´・ω・`) 


15: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 15:02:46.95 
>>11 
良かったわたしは福山 


14: 幕末まとめ  2017/08/26(土) 14:59:25.97 
みなもと太郎先生が喜んでそう 

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1: 幕末まとめ 2017/09/14(木) 00:03:57.34 _USER9
 幕末の寺田屋事件で坂本龍馬が幕府側に襲撃された際、現場に残したとされる書面に薩摩、長州の両藩が協力して幕府側を京都から追い払う取り決めがあったと記した文書が鳥取県立博物館で見つかったことが13日、分かった。下関市立歴史博物館(山口県)の田中洋一学芸員が特別展に向けた調査で発見した。

 慶応2(1866)年の寺田屋事件で薩摩藩邸に逃げ込んで難を逃れた龍馬の荷物の中に残されていたとされる書面に関する文書。識者からは、薩長同盟は軍事同盟だったのかどうかや、龍馬の関与の度合いなどが議論になっているとして「新たな見方を提供する文書だ」と評価する声が出ている。

薩長同盟に関する記述が見つかった「京坂書通写」=13日(鳥取県立博物館所蔵)
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https://this.kiji.is/280678722576188922?c=39546741839462401


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1: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:10:25.39 _USER9 BE:163221131-PLT(33337)
龍馬も通った「岩倉旧宅の正門」初開放 大政奉還150年記念

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国指定史跡「岩倉具視幽棲旧宅」の正門から入った来訪客を出迎える担当者=16日午前、京都市左京区(西川博明撮影)1/1枚

 徳川幕府が政権を返上した「大政奉還」から今年で150年の節目にちなみ、国指定史跡の岩倉具視幽棲旧宅(京都市左京区)で16日、普段は閉鎖している正門を初めて一般開放した。「坂本龍馬も通った正門から入ろう」と題した企画で岩倉具視の命日の20日、23日も開放する。

 旧宅を管理する植彌(うえや)加藤造園(同区)によると、大政奉還前の慶応3(1867)年6月、坂本龍馬や中岡慎太郎が旧宅を訪れ、岩倉に政治の相談を持ちかけた記録が残るという。同社の重岡伸泰さんは「正門を通り、幕末の志士らの気分を体感してほしい」と話す。入場料一般300円。

 一方、ANAクラウンプラザホテル京都(同市中京区)は7日、市民公開イベント「大政奉還で何が起こったか?」を開催。映画「武士の家計簿」の原作者などで知られる歴史家で、国際日本文化研究センター(同市西京区)の磯田道史准教授が解説を行った。

 磯田氏は聴衆約300人を前に、大政奉還の意義を「日本が外国につけ込まれる隙を与えず、全国の兵乱を小さく抑えることができた」と評価。もし大政奉還がなければ「応仁の乱パート2のようなことも起きただろう」と予想していた。

産経WEST 2017.7.17 08:05

http://www.sankei.com/smp/west/news/170717/wst1707170015-s1.html
3: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:13:14.73 
>>1 
> 磯田氏は聴衆約300人を前に、大政奉還の意義を「日本が外国につけ込まれる隙を与えず、全国の兵乱を小さく抑えることができた」と評価。もし大政奉還がなければ「応仁の乱パート2のようなことも起きただろう」と予想していた。 

玉音放送が本土決戦を回避させたのに似ている 


2: 幕末まとめ 2017/07/17(月) 09:11:53.62 BE:163221131-PLT(33337)
大河ドラマで岩倉具視が見たいな 
岩倉遣欧使節団とか超面白そう 


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1: 幕末まとめ 2017/06/29(木) 19:51:21.83 _USER
毎日新聞 2017年6月29日 19時15分(最終更新 6月29日 19時21分)
板垣退助が購入したルイ・ヴィトンのトランク=高知市立自由民権記念館提供
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板垣退助が購入したルイ・ヴィトンのトランクについていたタグ=高知市立自由民権記念館提供
https://mainichi.jp/articles/20170630/k00/00m/040/046000c

 仏高級ブランド「ルイ・ヴィトン」のかばんを日本で初めて購入したのは誰か--。この謎に高知県はこれまで、土佐藩士の後藤象二郎と紹介してきたが、さらに3週間早く自由民権運動の指導者、
板垣退助が購入していたことが分かった。板垣を顕彰する「板垣会」の公文豪・副理事長(68)がルイ・ヴィトンジャパン(東京都)を通じてパリ本店に照会して判明した。

 ともに土佐藩士だった板垣と後藤は1882(明治15)年、横浜からフランスの郵船に乗り、香港などを経てパリに到着。その後もロンドンなどを外遊し、翌83年に帰国した。

 公文副理事長によると、ルイ・ヴィトンジャパンの初代社長、秦郷次郎氏が著書の中で、後藤の顧客カードを、写真と共に紹介。これがもとで「後藤が日本人初の顧客だった」との説が広まった。

 しかし、昨年、東京都内であったルイ・ヴィトンの展覧会を機に、公文副理事長が同社を通じて購入記録を照会。記録によると、1883年1月9日に「Itagaki」という人物が、シリアルナンバー「7720」のトランクを購入していることが判明し、
名前とナンバーが、板垣の子孫が保管していたトランクと一致した。この3週間後の同月30日、後藤が二つのトランクを購入した記録があるが、現物が確認されておらず、後藤はこれより前にパリを出発していたという。

 公文副理事長らによると、板垣や後藤よりも8年早い75年、元薩摩藩士でフランス公使の「鮫島尚信」とみられる購入記録もあるが、現物が未発見で、実物で裏付けられる最初の購入者は板垣とみられる。

 板垣のトランクは現在、高知市立自由民権記念館に寄託されている。公文副理事長は「板垣の洋行に関わる第一級の資料だ」と指摘。県観光政策課は「あくまで通説の一つとして『後藤が最初』と説明してきた。新事実をきっかけに幕末や明治維新への関心が高まればいい」としている。【松原由佳】


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1: 幕末まとめ  2017/06/23(金) 19:18:51.25 _USER9
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司馬遼太郎の自筆原稿見つかる 「竜馬がゆく」最終回も
6/23(金) 18:33配信

作家の司馬遼太郎(1923~96)の代表作「竜馬がゆく」最終回と
「坂の上の雲」第1回の自筆原稿が見つかった。
司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)が23日、発表した。
どちらも存在しないと思われていた原稿で、推敲(すいこう)の跡から
司馬の作品への思いが伝わってくる貴重な発見だ。

「竜馬がゆく」は62~66年、「坂の上の雲」は68~72年、いずれも産経新聞に連載された司馬の代表作。
「竜馬」は連載5回分23枚、「坂の上」は連載6回分24枚、400字詰め原稿用紙で計47枚が見つかった。
東京の古書店から連絡を受けた記念館が鑑定し、今月はじめに買い取った。

「竜馬」の自筆原稿が見つかったのは初めて。
ラストシーンの「天が、(略)その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」という、
作品の竜馬像を象徴する部分が含まれている。激しく手を入れた跡が残っており、最初に
「天はその若者を惜しむように召しかえした」と書いた後、「惜しげもなく」と、
竜馬像がより印象的に伝わるような修正がされていた。

「坂の上」の原稿には有名な書き出しの「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」が記されている。
自筆原稿の大半は日本近代文学館に寄贈されているが、欠落があり、冒頭は失われたと思われていた。
加えて、文学館にも保存されている第28回(4枚)の別原稿が見つかった。
表紙に「ボツ」と書き込みがあり、軍艦の名前を間違えたことから、書き直して差し替えたと見られる。

司馬の義弟で記念館館長の上村洋行(うえむら・ようこう)さんは
「全くないと思っていた原稿で、見たときに心臓が拍動した。竜馬の最期を書くにあたっての
思いを感じる」と話している。原稿は7月1日~8月31日、同館で特別展示される。(野波健祐)

6/23(金) 18:33配信 朝日新聞デジタル
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「竜馬がゆく」で坂本竜馬が絶命する場面。「惜しむように」が「惜しげもなく」に書き直されていた

116: 幕末まとめ  2017/06/23(金) 21:27:53.76 
>>1 
司馬遼太郎は美文を書くのを自制していた気配があるので、あまりセンチメンタルだったり 
扇情的な文章を書かない作家だったが、「竜馬がゆく」の最後はやばいと思う。 

  天に意思がある。 
  としか、 この若者の場合、 おもえない。 
  天が、 この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、 その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。 
  この夜、 京の天は雨気が満ち、 星がない。 
  しかし、 時代は旋回している。 
  若者はその歴史の扉をその手で押し、 そして未来へ押しあけた。  


こんな名文、日本の文学史の中でも最高の名文だろう。 

22: 幕末まとめ  2017/06/23(金) 19:43:38.35 
坂の上の雲なら、書き出しよりも 
「のぼってゆく坂の上の~」のくだりが入っているあとがきの原稿のほうが、価値が高そう 


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