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1: 幕末まとめ  2017/06/23(金) 19:18:51.25 _USER9
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司馬遼太郎の自筆原稿見つかる 「竜馬がゆく」最終回も
6/23(金) 18:33配信

作家の司馬遼太郎(1923~96)の代表作「竜馬がゆく」最終回と
「坂の上の雲」第1回の自筆原稿が見つかった。
司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)が23日、発表した。
どちらも存在しないと思われていた原稿で、推敲(すいこう)の跡から
司馬の作品への思いが伝わってくる貴重な発見だ。

「竜馬がゆく」は62~66年、「坂の上の雲」は68~72年、いずれも産経新聞に連載された司馬の代表作。
「竜馬」は連載5回分23枚、「坂の上」は連載6回分24枚、400字詰め原稿用紙で計47枚が見つかった。
東京の古書店から連絡を受けた記念館が鑑定し、今月はじめに買い取った。

「竜馬」の自筆原稿が見つかったのは初めて。
ラストシーンの「天が、(略)その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした」という、
作品の竜馬像を象徴する部分が含まれている。激しく手を入れた跡が残っており、最初に
「天はその若者を惜しむように召しかえした」と書いた後、「惜しげもなく」と、
竜馬像がより印象的に伝わるような修正がされていた。

「坂の上」の原稿には有名な書き出しの「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」が記されている。
自筆原稿の大半は日本近代文学館に寄贈されているが、欠落があり、冒頭は失われたと思われていた。
加えて、文学館にも保存されている第28回(4枚)の別原稿が見つかった。
表紙に「ボツ」と書き込みがあり、軍艦の名前を間違えたことから、書き直して差し替えたと見られる。

司馬の義弟で記念館館長の上村洋行(うえむら・ようこう)さんは
「全くないと思っていた原稿で、見たときに心臓が拍動した。竜馬の最期を書くにあたっての
思いを感じる」と話している。原稿は7月1日~8月31日、同館で特別展示される。(野波健祐)

6/23(金) 18:33配信 朝日新聞デジタル
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「竜馬がゆく」で坂本竜馬が絶命する場面。「惜しむように」が「惜しげもなく」に書き直されていた

116: 幕末まとめ  2017/06/23(金) 21:27:53.76 
>>1 
司馬遼太郎は美文を書くのを自制していた気配があるので、あまりセンチメンタルだったり 
扇情的な文章を書かない作家だったが、「竜馬がゆく」の最後はやばいと思う。 

  天に意思がある。 
  としか、 この若者の場合、 おもえない。 
  天が、 この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、 その使命がおわったとき惜しげもなく天へ召しかえした。 
  この夜、 京の天は雨気が満ち、 星がない。 
  しかし、 時代は旋回している。 
  若者はその歴史の扉をその手で押し、 そして未来へ押しあけた。  


こんな名文、日本の文学史の中でも最高の名文だろう。 

22: 幕末まとめ  2017/06/23(金) 19:43:38.35 
坂の上の雲なら、書き出しよりも 
「のぼってゆく坂の上の~」のくだりが入っているあとがきの原稿のほうが、価値が高そう 


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1: 幕末まとめ 2017/06/16(金)08:09:46
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 坂本龍馬が記した中で「最長」といわれ、1913年に火災で焼失したとみられていた手紙のうち、6枚を北海道の男性が所有していることが高知県への取材で15日、分かった。
 
 手紙は龍馬が長崎で記したとされ、慶応2(1866)年12月4日付。
 写本から内容は全て判明しており、6枚は手紙全体の約4割とみられる。兄の権平らに宛て、幕府側の襲撃を受けた寺田屋事件の話などをつづっていた。

(省略)

全文はこちら
産経ニュース
http://www.sankei.com/life/news/170616/lif1706160005-n1.html



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1: 幕末まとめ  2017/06/11(日) 13:23:03.75 ● BE:601381941-PLT(13121) ポイント特典
明治新政府の目安箱、投書発見「役人が女色にふける」

明治新政府が全国に先駆けて京都に設置した目安箱に、住民らが投書した訴状の原本34通が京都市内で
見つかった。幕末の動乱で荒廃した街の復興や、物価高騰を案じる民衆の声がつづられている。この時期の
訴状が見つかるのは極めて珍しいという。

34通の訴状は、慶応4・明治元(1868)年を示す「戊辰(ぼしん)歳」、目安箱への訴えを指す「箱訴(はこそ)」の
文字が書かれた冊子にとじられていた。投書には同年6月~12月の日付があった。「九冊之内」という記述があり、
9冊あったうちの1冊とみられる。明治新政府は徳川幕府にならい同年2月、全国初となる目安箱を京都の
三条大橋西詰めに設置。その後、東京や大阪にも広がった。

訴状の内容は、荒れた街の復興を求める声や、新政府の紙幣・太政官札(だじょうかんさつ)の発行に伴う
物価高騰への苦情、学校・住宅建設の要望、「京都府」という呼称が良くないので「平安府」にしてはどうかという
提案など多岐にわたる。「僧侶のぜいたくを制限せよ」という訴えや「新政府の役人たちが酒や女色にふけっている」
といった告発もあった。

古文書研究で知られる国際日本文化研究センターの磯田道史(みちふみ)・准教授(46)=日本史学=が
5月下旬、京都市内の古書店で見つけた。磯田准教授は「明治維新という革命直後の民衆の肉声が聞こえてくるようだ。
これまで明治維新は志士や政治家の分析が目立ち、住民の視点からの研究が欠けていた面があった。
維新史の空白を埋める貴重な史料だ」と話している。(大村治郎)

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役人の素行の悪さを告発する訴状=京都市中京区
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物価高騰による窮状を訴える投書=京都市中京区
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自ら見つけた目安箱の訴状を手にする磯田道史・国際日本文化研究センター准教授=京都市中京区

http://www.asahi.com/articles/ASK6952X7K69PLZB010.html


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1: 名無しさん 2017/06/03(土) 23:03:05.59 _USER9
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幕末の志士、坂本龍馬が寺田屋事件(1866年)で幕府側に襲撃された後、かくまわれた「薩摩藩伏見屋敷」の絵図が見つかり、京都市伏見区の神社「城南宮」が3日、発表した。
屋敷は1868年の鳥羽伏見の戦いで焼けた。敷地の広さや建物の配置、間取りなどが初めて明らかになった。

発見された「薩摩藩伏見屋敷」の絵図=城南宮提供・共同

京都国立博物館の宮川禎一上席研究員は「歴史が動いた舞台の詳細が分かる貴重な資料」と評価。「龍馬は屋敷の北東、管理者がいた部屋の周辺に担ぎ込まれたのではないか」と推測する。

寺田屋事件は、薩長同盟を取り持った龍馬を伏見奉行所の役人が襲撃。負傷した龍馬は材木小屋に身を隠し、薩摩藩が救出、屋敷に運び込んだ。
幕府側が龍馬を引き渡せと迫ったが、薩摩藩が拒否、両者の亀裂が決定的になったという。

城南宮などによると、絵図は江戸中期の1786年、改築工事などのために作られたとみられ、縦約1メートル、横約1.3メートル。
敷地は南北99メートル、東西64メートルで、間取りや配置はほぼそのままだった可能性が高い。

今年4月、城南宮の宮司が古書店で発見、購入した。絵図は4日から城南宮で、7月25日から同博物館で公開する。〔共同〕

配信 2017/6/3 21:38
日本経済新聞
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG03H4T_03062017CC1000/




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1: 幕末まとめ  2017/04/19(水)15:25:30 ID:???
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借りた幕末の屏風絵、変色させ返却…修復できず

 熊本市現代美術館は18日、高知県香南市の文化施設から借り受けた幕末の絵師金蔵きんぞう
(1812~76年)作の屏風絵びょうぶえ5点を誤って変色させ、完全に修復できないまま返却したと発表した。

 同館の指定管理者の熊本市美術文化振興財団は「できる限りの処置をしたが、元に戻らず、申し訳ない」としている。

続き 読売新聞・会員記事
http://www.yomiuri.co.jp/national/20170419-OYT1T50037.html

2: 幕末まとめ  2017/04/19(水)15:30:12 
どーやって
変色させたんだ 日当たりの良いところで日晒し??? 

5: 幕末まとめ  2017/04/19(水)15:34:16 
日本中探せば、修復できる人間はいるはずだから、その修復代金を熊本が出すしかないな。 


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