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タグ:土方歳三

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1: 名無しさん 2018/01/01(月) 16:25:57.80 ID:hRShI5H5a
榎本武揚「降伏して生き延びようや」

官僚達「皆で生きようや」

歳三「もし生き延びたら近藤に合わす顔無いわ、生きたい奴は生きればエエで」新選組羽織ファサ

歳三「新選組副長、土方歳三出るやで、意地が命より重い奴だけ付いてこいや」

函館政権、幹部で唯一の戦死者

なんやねんこいつ、格好良すぎやん


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1: 名無しさん 2017/12/18(月) 07:11:24.86 _USER9
http://www.asahi.com/articles/ASKDK5CVJKDKUTIL01C.html

 日野市の高幡不動駅周辺で17日、いずれも幕末に活躍した土方歳三と坂本龍馬の親族の子孫2人が、一緒に街のごみ拾いをした。土方は新選組副長で佐幕派、坂本は志士で倒幕派と立場は大きく違ったが、約150年の時を超えて、きれいな街づくりに一役買った。

 参加したのは土方歳三の兄の子孫で、市内にある土方歳三資料館で館長を務める土方愛(めぐみ)さん(46)と、坂本龍馬の兄の子孫に当たる、中央大学3年の坂本龍哉(りょうや)さん(20)。ごみ拾いを通じた街づくりを手がける、中央大のサークルの呼びかけに応じたという。

 2人は初対面。あいさつの後、午前9時半ごろに出発。約30人が土方チームと坂本チームの二手に分かれて拾った。新選組の衣装を着た参加者もいて和やかな雰囲気で進み、終了後、坂本さんは土方歳三資料館を訪問。「歴史は立場によって見方が異なるので、各自の立場に立って見ることが大事ですね」などといった話を2人でしたという。

 土方さんは「かしこまらずに話せて良かった。お互いの歴史は理解しつつ、良いご縁を築いていけたら」。坂本さんも「幕末当時は敵対的な関係性だったと思うが、長い時間を超えて協力ができ、素晴らしいと思います」と話した。(川見能人)

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1: 名無しさん 2017/08/14(月) 21:41:55.85 _USER9 BE:163221131-PLT(44444)
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当時の木製水道管などが展示された五稜郭の「兵糧庫」の特別公開=北海道函館市で2017年8月14日午後1時12分、山田泰雄撮影

 北海道函館市の国指定特別史跡・五稜郭跡で、1864(元治元)年に箱館奉行所の米蔵として建築された「兵糧庫」が31日まで特別公開されており、大勢の観光客が歴史ロマンを堪能(たんのう)している。

 兵糧庫は明治新政府軍と旧幕府軍が最後に戦った箱館戦争後、唯一解体を免れた建物。創建時の柱や梁(はり)が残り、実際に敷かれた木製水道管や沈没した新政府軍の軍艦の一部が展示されている。

 入場無料で公開は午前10時~午後3時。「幕末史の1ページ」を感じさせる存在感のためか、訪れた東京都江戸川区の西村勝子さん(70)は「まるで時代劇のような感じ」と感心しきりだった。【山田泰雄】

https://mainichi.jp/articles/20170815/k00/00m/040/092000c


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1: 幕末まとめ  投稿日:2016/04/21(木) 18:50:59.92
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土方歳三の愛刀を展示へ

 新選組で副長を務めた土方歳三が戊辰戦争で用いたとされる刀「大和守源秀国」を京都市東山区の霊山歴史館が新たに収蔵し、21日に報道陣に公開した。
29日から常設展示する。

 刀の付け根には、土方の本名である「義豊」と、戦闘で使用されたことを示す「幕府侍土方義豊戦刀」の文字が刻まれている。
旧幕府軍で土方の上官だった会津藩士が譲り受けたことも刀に記されている。
戊辰戦争中の1868年に一緒に戦闘に参加した上官に刀を贈ったとみられる。

 東京都在住の個人研究家が所蔵していたものを今月、幕末や明治維新の史料を集めている歴史館が購入した。

http://www.daily.co.jp/society/culture/2016/04/21/0009011228.shtml 
 


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1: 日本@名無史さん
箱館戦争について語りましょう!史跡の訪問談も歓迎!!

3: 日本@名無史さん
何とかいうフランス人も参加してたらしいが、この人生きて本国へ帰れたのかな?

5: 日本@名無史さん
>>3 帰国後、一定の処罰は受けたそうだが、民衆から大し 
て非難された事は無かった様だ。 
アル・カイダの米国人のケースと違って、政府が幕府と仏が 
敵対していたわけでなく日和見的に新政府に移ったわけで、 
特にフランスの利権に危害を及ぼした訳でも無いので、命令 
違反で禁固かそのあたりだったと思う。 
フランス人が残留したのは、幕府陸軍の訓練生の勤勉ぶり 
に感動してだった(ひょっとすると外交的なカードとして 
残した……とも考えられるけどこれは勝手な憶測)。 
ほとんどの人が無事か負傷してフランスに送還されたと思 
う。ただ、全員の消息は分かってないらしい。 
えらい、うろ覚えレスですまそ。

54: 日本@名無史さん
>>5 
幕府で軍事顧問してたジュール・ブリュネは、フランスに帰国後、フランス陸軍に 
戻ったはず。 
確か日露戦争で、多くがロシア優勢を説いてたのに、彼と少数は日本勝利を 
疑わず、フランス政府にロシアへの深入りを避けるよう提言までしたとか。 
この人、結局中将にまでなってるんだよね。


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