幕末ちゃんねる

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タグ:大河ドラマ

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寅次郎が学び場を作ったことで、囚人たちは希望を取り戻し、野山獄の雰囲気は変わりつつあった。

一方文は、寅次郎を牢から救い出したいと考えていた。

しかしその術をしらなかった文は、女囚の高須久子に相談しあるものを伊之助に託す。

文の存在と寅次郎の存在の大きさを改めて知った伊之助は、寅次郎の罷免のために奔走する。

それは大き賭けでもあった。


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1: 名無しさん 投稿日:2015/02/14(土) 17:16:33.03
「花燃ゆ」意外にも若年層から高評価「気骨ある井上真央かっこいい」

1月4日にスタートしたNHK大河ドラマ「花燃ゆ」。初回視聴率が歴代ワースト3となり、
その後も上昇の兆しを見せていないなど、何かとネガティブなニュースが目立つが、
意外にも若年層から今後の展開に期待する声が上がっている。

データニュース社(東京)が行っているテレビ視聴アンケート「テレビウォッチャー」(対象者3000人)
によると、初回満足度は3・6(5段階評価)。過去2作品の初回(軍師官兵衛が3・62、八重の桜が3・76)
を下回った。また8日放送の第6話でも3・46と数値は高くなく、視聴者の回答からは
「話の展開がわかりにくい」(54歳、女性)、「理解が追いつかない」(57歳、女性)など、
大河を長年楽しんできた年配のファンからは厳しい指摘が少なからずあった。

一方で若年層の見方はどうだろう。20歳~35歳のいわゆる「M1・F1層」では、
第6話までの平均満足度が3・96と、高満足といわれる3・8を大きく上回る数字となっているから面白い。
回答からは「俳優陣が豪華」(28歳、女性)「大沢たかおカッコいい」(21歳、女性)
「井上真央の気骨のある演技がかっこよかった」(33歳、男性)など、出演者に対する高評価に加え
「主人公が切ない。歴史がわかってためになる」(31歳、男性)「評判は良くないが、まだまだこれから
の展開が楽しみ」(33歳、女性)など、吉田松陰の妹という比較的地味な主人公から幕末維新の難しい
歴史をひも解く試みや、今後の話の行方に興味を示すなど、応援団的な意見が若者を中心にあることも見逃せない。

初回では長年の大河ファンと思われる視聴者から、今までと違った大河らしくない「新しさ」に戸惑う
意見が多かったが、若い視聴者はある意味、大河っぽくないセリフの言い回しや若い俳優陣などが
違和感なく受け入れられ、好意的な見方をしている傾向がうかがえる。次々回の第8話(22日放映予定)からは、
伊勢谷友介演じる吉田松陰が、明治維新の原動力となる志士たちを育てた松下村塾を主宰、
久坂玄瑞(東出昌大)や高杉晋作(高良健吾)ら、激動の幕末を語る上で欠かすことのできない
若き志士たちが続々と登場する。

視聴率という物差しで見ると、現時点では苦戦と言わざるを得ない。しかし、視点を変えてみると、
若年層に支持率が高いということは、新しい大河ファンを開拓中という側面もあるといえる。
批判を恐れず、視聴者が次も見たいという作品を年末まで積み上げていけるかどうか。
ブレない姿勢が、何かを生み出す可能性は十分ある。 [ 2015年2月14日 16:15 ]

スポニチ 
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/02/14/kiji/K20150214009808180.html


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1: 名無しさん 投稿日:2015/02/12(木) 08:52:05.49
会津藩からの視点で描かれた前々回のNHK大河ドラマ『八重の桜』では、長州藩がテロリスト然と描かれて
賛否両論を巻き起こした。今回の大河『花燃ゆ』は一転して長州が主役。
それに穏やかならぬ思いを抱いているのが群馬県民だ。
福島県民ならともかく、なぜ群馬県が? それは大沢たかお演じる「ヒロインの夫」にまつわる禍根が理由だった。

大沢たかおが演じる「小田村伊之助」は、ヒロイン・文の再婚相手で、後に「楫取素彦」と改名して初代群馬県令
(現在の県知事)となった人物。そんな楫取が猛反発を受ける理由は、やはり県庁所在地を高崎市から前橋市に
移したことが大きい。

群馬県一帯は古くは「上野国」「上州」と呼ばれていたが、江戸時代は前橋藩、高崎藩などに分かれ、
維新後も1871年(明治4年)の廃藩置県で前橋県や高崎県など9県に分かれた。
その後紆余曲折を経て1876年に群馬県に統一されるが、長らく別の藩だったこともあり前橋・高崎両地域の対抗意識は強い。
その対立をより際立たせたのが県庁移転問題だった。

群馬県となった当初、県庁機能は高崎市に置かれていた。しかし、当時の高崎市は高崎城が兵部省の管轄に入っていた
こともあり、県庁舎を置くのに十分な建物がなく、各部署が別々の建物に分散していた。
そのため県政に滞りが生じることが少なくなかった。

そんななか持ち上がったのが、前橋市への県庁移転だった。前橋市文化国際課の手島仁・歴史文化遺産活用室長がいう。
「当時、生糸生産で豊かになっていた前橋市民が寄付を募り、県庁誘致運動を起こしたのです。当時の金額で2万6000円、
現在の貨幣価値では30億円に相当する額です。それに楫取県令が応じ、1876年(明治9年)に仮庁舎を前橋に置いたのです」

言うなれば“県庁買収”である。当然、高崎市民は猛反発。
その際に楫取は「地租改正が終わったら、県庁を高崎市に戻す」と市民に話したと伝えられている。
しかし結局、県庁が高崎に戻ることはなく、1881年(明治14年)には内務省から群馬県庁を正式に前橋に置くという
布告が出された。

それに「約束が違う」と怒った数千人の高崎市民は前橋の県庁を包囲した。
しかし群馬県史によれば、楫取は病気を理由に面会を拒否。翌日には高崎市民が前橋市内をデモ行進する騒ぎとなった。
「裏切り者」と罵られたのはこの経緯があったからだ。

楫取ら長州出身者に批判的な声が上がる背景には、戊辰戦争から明治にかけての長州藩への複雑な思いもある。
高崎市在住で共愛学園前橋国際大学名誉教授(近代日本政治史)の石原征明氏がいう。

「戊辰戦争時、高崎藩主は明治新政府の岩倉具定・総督軍を土下座して迎え入れ、1万両と武器・食料を差し出した
屈辱的な歴史がある。その後も明治政府の命令には意に沿わないものでも従わざるを得なかった。
当時の県庁の役人はすべて新政府側の人間で、県令が楫取だったこともあって長州出身者が最も多かった。
そうした群馬の人々の不満が噴出したのが、県庁移転のデモ行進だったわけです」

高崎市在住の80代男性がいう。
「今回の大河は安倍首相のゴリ押し企画という報道もあったが、それが本当なら長州のやりたい放題は今も昔も同じということ。
もし今後、大沢たかおの楫取県令が“富岡製糸場を立て直して群馬を救ったヒーロー”と描かれて、県庁問題で逃げたことは
描かれないのであれば黙ってはいられません」

楫取の玄孫で「ぐんま『花燃ゆ』プロジェクト推進協議会」名誉顧問の楫取能彦氏はこう語る。
「県庁移転の際の素彦は“あっちを立てればこっちが立たず”で苦しい立場だった。本人も辛かったのでしょうが、
ベストの選択をしたと思います。とはいえ高崎の人々から恨まれていることもよくわかる。今後、群馬に行った素彦が
どう描かれるか、ヒヤヒヤものです(笑い)」

http://www.news-postseven.com/archives/20150212_302687.html

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志の果て

寅次郎は、野山獄に収監される。
同じ牢獄にとらわれた人物が
”ここはただの牢獄ではない。生きて出ることはできない。”と寅次郎にいう。

文は、寅次郎の手足となって生きることに。
そして兄が読みたい本などを差し入れに向かう。するとそこで寅次郎の弟子金子の母ツルがいた。
”あわせてください”と嘆願していた。

寅次郎は2ヶ月の間に、100冊の本を読んでいた。
その本を文は、届けていた。

ツルと文は、野山獄の帰りに海辺で握り飯を食べていた。
ツルは金子が”学問の虫になる”といって、江戸へ向かった。止めとけばこんなことには。。といいながら泣き出した。


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872 名前:公共放送名無しさん[] 投稿日:2015/01/15(木) 13:03:50.49 ID:IDjpcIMb 
1567年 堤真一、中井貴一への謀反の疑いで誅殺される。
1589年 堤真一、摺上原の戦いで渡辺謙に敗れ、常陸へ敗走する。
1615年 堤真一、寺島しのぶに斬殺される。
1701年 堤真一、東山紀之の仇討計画に加わるも、石井愃一に咎められ離脱する。
1713年 堤真一、尾張藩主として将軍後継争いに名を連ねるも、突如吐血し変死する。
1877年 堤真一、西南戦争に西田敏行方として従軍するも、熊本県で戦死する。
1899年 堤真一、鴨居商店を起業する。

堤真一朝ドラは初めてみたいだけど大河は結構出てた


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