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タグ:奥羽越列藩同盟

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2008/07/08(火) 20:22:47
会津=反対押し切って京都進出評価分かれる、犠牲甚大
庄内=殿様より庄屋が支えた、洋式軍隊活躍
仙台=借金200万両、額兵隊が善戦、ドン五里の汚名
米沢=朝敵になり謙信公泣く、発言力の不思議
長岡=近代武装で活躍。家老奮戦
秋田=官軍、朝敵仙台藩士始末するも四方攻められ焦土化
南部=家老が薩長批判、同盟に肩入れ
二本松=殿様逃亡、少年隊戦死。
その他=一応参加するも日和見、時流読み状態。
会津・長岡・庄内以外、戦意も士気も上がず連戦連敗。

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1: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/03(金) 23:24:25
語ろう。
3: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/03(金) 23:51:31
楢山佐渡は知らんな。 
紹介してくれ

4: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 00:05:52
楢山佐渡(1831-1869) 南部藩家老 

代々家老職にある楢山家に生まれる 
南部利剛が藩主になると重用されるが、 
一揆の責任を取り辞職し、一時藩政から離れる 
戊辰戦争時、佐幕を主張し、 
列藩同盟を裏切った秋田藩を討つべしと主張する 
しかし、楢山が藩政から離れていたときに代わりに起用された東中務がこれに反対し、 
全面対決することになる 
そして、この藩内抗争に勝利し、 
自ら鹿角口攻撃軍の総大将として攻撃するが官軍を破ることができず 
盛岡藩を窮地に追い込む 
1869年、戦争責任を負い、報恩寺で自刃する 
享年39歳

7: 日本@名無史さん 投稿日:2005/06/04(土) 02:06:09
楢山佐渡は浅田次郎の「壬生義士伝」の大野次郎右衛門のモデル
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1: 影のたけし軍団ρ ★ 投稿日:2013/09/06(金) 09:43:41.65
明治維新から続く会津―長州の確執はつとに有名だが、日本各地には他にも至る所で「郷土紛争」が繰り広げられている。
歴史的な因縁から、餃子や芋煮といった名産品の取り合いまで……。当事者たちにとっては郷土の威信をかけた闘いなのだ。

「青森や弘前は津軽藩で、八戸や下北半島は南部藩。南部は岩手県の久慈市のほうに親近感がある。
だいたい、戊辰戦争であっさり官軍に寝返った津軽藩は信用できない」(八戸市在住・60代男性)
と、同じ青森県なのになにやら冷たい雰囲気が漂う津軽地方と南部地方。

「県庁所在地は青森市にあるし、青森のねぶたや弘前のねぷたは世界的に有名。
りんごはもちろん、米もこちらのほうがよく穫れる」(青森市在住・50代男性)

青森市民が、こう我こそが上だと主張すると、

「八戸には八戸三社大祭がある。新幹線の開通だって八戸が先だった。それに津軽はフジテレビが映らないが、
南部地方の一部はフジ系の岩手めんこいテレビが映る」(前出・八戸市民)と、テレビのチャンネル数まで持ち出して対抗心をメラメラ燃やしている。

もともと津軽地方は南部藩の支配下にあったが、1588年に南部藩の家臣が独立し、豊臣秀吉に津軽地方の支配権を認めさせた。
戊辰戦争の遺恨から、南部の人のなかには「津軽の人間とはつき合わない」と公言する人も多い。

かたや津軽側にも、合併で青森県ができたときに南部藩の借金を肩代わりさせられたことへの恨みが残る。
八戸-青森(新青森)間は新幹線でわずか25分だが、心の距離はなかなか縮まらないようだ。
http://www.news-postseven.com/archives/20130829_206419.html

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/16(土) 23:27:40
もっと強いと思ってたのに
2: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/10/17(日) 00:18:08
62万石で実質100万石と言われてたのにね
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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2010/09/29(水) 01:50:15
会津=反対押し切って京都進出評価分かれる、犠牲甚大
庄内=殿様より庄屋が支えた、洋式軍隊活躍
仙台=借金200万両、額兵隊が善戦、ドン五里の汚名
米沢=朝敵になり謙信公泣く、発言力の不思議
長岡=近代武装で活躍。家老奮戦
秋田=官軍、朝敵仙台藩士始末するも四方攻められ焦土化
南部=家老が薩長批判、同盟に肩入れ
二本松=殿様逃亡、少年隊戦死。
その他=一応参加するも日和見、時流読み状態。
会津・長岡・庄内以外、戦意も士気も上がず連戦連敗。

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