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タグ:池田屋事件

1: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:30:50.21 _USER9
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 幕末の京都で、長州や土佐などの過激派志士が襲撃された「池田屋事件」の際、
2階に踏み込んだ新選組局長の近藤勇が発した第一声は、将軍や主君の意思であることを示す「御上意」だった可能性があることが18日、
宮内庁宮内公文書館に保管されている会津松平家の資料で分かった。

 ドラマなどでは「手向かいすれば容赦なく斬る」と警告する場面が多いが、今回の資料にこの言葉はなかった。
これまで知られていなかった新たな言葉の登場は、歴史ファンの関心を呼びそうだ。

 資料は「維新階梯(かいてい)雑誌」で、会津藩主松平容保が京都守護職になった1862年以降の出来事を明治時代に編さん。
一部が引用されるなどして存在は知られていたが、31冊が同館にそろっているのを埼玉県の歴史研究家、伊藤哲也さん(47)が確認した。

 64年の池田屋の場面では、近藤が亭主とやりとりした後、2階に上がると6、7人が車座になっていたと記述。
「座中を割って奥へ赴けば、一同(刀を)抜いて斬り掛かってきた」「此の方御上意と大音声で(叫んで)踏み込んだ」と続く。
後に近藤が「(相手は)御上意に恐れをなした様子。いまだ徳川のご威光は尽きず」と述懐したとも書かれている。

 これまでは、1階にいた幹部隊士で、大正まで生きた永倉新八の回顧録から、近藤はまず「手向かい致すにおいては容赦なく斬り捨てる」と警告したとされてきた。

 新選組はこのころまだ目立った功績がなく、近藤は攘夷を実行しない幕府に失望し、解散の意向を伝えるなど進退に悩んでいた。
しかし事件後、幕府を支える傾向を強めていったとされる。

 新選組研究の第一人者として知られる菊地明さんは「上意という言葉は初めて知った。『手向かい致せば』も言っていたとしても矛盾はしないと思う。
予想外に相手がひるんだので将軍の威光を見直し、あくまで徳川が力を持つことで攘夷を目指す思想につながったのかもしれない。膨大な資料は大きな価値がある」としている。

http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17HAK_Y6A610C1CR0000/


4: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:32:52.52
か、階段落ちは? 
階段落ちは有ったの?

422: 幕末まとめ  2016/06/19(日) 01:25:29.17
>>4 
ぎ・・銀ちゃん・・・

21: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:45:32.15
近藤や永倉って、土方部隊が遅かったらここで死んでたんだよね

24: 幕末まとめ  2016/06/18(土) 13:51:08.55
>>21 
そうでもない

371: 幕末まとめ  2016/06/19(日) 00:22:43.34
>>21 
それは無い。 
土方隊が斬ったのはその場から逃げ出そうとした連中。


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1: 幕末まとめ  投稿日:2015/07/08(水) 21:11:26.07
幕末の京都、新選組が志士の密談に討ち入った「池田屋事件」が当時の祇園祭宵山前日に
あたる1864年7月8日(元治元年6月5日)に起こった。今年のNHK大河ドラマは長州藩がテーマ。
あらためて注目され、ドラマや小説の定番となっている事件の真相はいかに?多くの史料から
事件の真相に迫った書籍「池田屋事件の研究」(講談社現代新書)の著者、歴史地理史学者の
中村武生さん(47)に聞いた。

(中略)

■やはり桂は逃げた

-池田屋襲撃時、長州の桂小五郎や吉田稔麿(としまろ)はいたのか?

「桂は早く来すぎたため、対馬藩邸に行ったと自叙伝にあります。しかし、長州藩邸のトップ
乃美織江(のみおりえ)による手記やほかの史料から判断すると、桂は2階から屋根を伝って
逃げたと考えるのが妥当です。吉田は当日の行動が分かる関係者の手紙によると、襲撃時には
池田屋にいない。長州藩邸のすぐ近くの加賀藩邸前で死にました。藩邸から池田屋への途中で
囲まれて切られたと判断します」

-池田屋内での戦闘の内容は?

「有名な階段落ちはフィクションです。永倉新八の手記などから戦闘時間は2時間で討ち入ったのは
近藤と永倉、沖田総司、藤堂平助の4人。浪士側は10人ほどで犠牲者数は5人と考えられます。
沖田の喀血(かっけつ)が通説となっていますが、永倉は持病が出て戦線離脱したとして、
血を吐いたとは書いていません」(以下省略)
※中略及び以下の部分はソース元にてご確認ください。

ソース/京都新聞社
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20150708000060

2: 幕末まとめ  投稿日:2015/07/08(水) 21:11:53.63 ID:ZjdBFrYw0.n
これがこれなもんで

5: 幕末まとめ  投稿日:2015/07/08(水) 21:13:50.33 ID:vE1UzcxV0.n
うん、知ってた

8: 幕末まとめ  投稿日:2015/07/08(水) 21:15:37.65 ID:9jwx+Emp0.n
斎藤一は大阪出張だっけ。

15: 幕末まとめ  投稿日:2015/07/08(水) 21:21:01.22 ID:cozBZzEc0.n
>■やはり桂は逃げた 
ワロタ 

>>8 
土方隊加わっててあとから戦闘に参加した

18: 幕末まとめ  投稿日:2015/07/08(水) 21:21:34.41 ID:ExAQPL830.n
今更だよなw 
でもやっぱりお約束で階段落ちシーンがないと寂しいよな


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1: 風吹けば名無し 投稿日:2013/04/11(木) 09:57:46.98
(右) 望月亀弥太  (勝海舟に航海術を学び、将来を嘱望された若手志士)
(二) 杉山松助   (微禄の武士ながら学問も気節もあった。桂小五郎を慕った)
(中) 大高又次郎  (甲州流軍学を学んだ。皮兜の製作に長け、その才能を藩主に認められた)
(三) 宮部鼎蔵   (志士たらば一度は宮部と対談すべしとまでいわれた巨魁)
(一) 松田重助   (自分の人相書の下で一週間を過ごしたという剣の達人。策士としても聞こえたという)
(左) 北添佶摩   (遥か蝦夷まで旅行した雄弁家)
(遊) 石川潤次郎  (望月を訪ねたところこの変に遭遇。見るに見かねて加勢したが、斃れた)
(捕) 大高忠兵衛  (弟・又次郎と共に志士活動をした。一座の中でも年頭であった) 
(投) 吉田稔麿   (吉田松陰が最も愛した逸材)

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8: 名無しさん@涙目です。(秋田県) 投稿日:2011/11/19(土) 09:28:36.48
せやな

9: 名無しさん@涙目です。(茸) 投稿日:2011/11/19(土) 09:30:01.30
戊辰戦争ェ...(´・ω・`)

10: 名無しさん@涙目です。(関東・甲信越) 投稿日:2011/11/19(土) 09:30:10.88
新撰組ってDQN探してきてあちこちに凸するおまえらみたいなもんだろ?
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1: 名無し募集中。。。 2010/08/28(土) 23:17:13.76 0
どれがどの事件のかわけわからん

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