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タグ:藩

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1: 名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2011/05/21(土) 21:22:57.21
江戸時代の大藩といえば、ベスト3が加賀・前田家の102・3万石、薩摩・島津家の77.1万石、仙台・伊達家の62.5万石の外様3藩。
続く4位が御三家の尾張徳川家62万石で紀州藩は5位である。

以下、熊本・細川家54万石、福岡・黒田家52.3万石、広島・浅野家42.6万石、長州・毛利家36.9万石、佐賀・鍋島家35.7万石。
以下御三家の水戸徳川家35万石、鳥取・池田家32.5万石、津・藤堂家32.4万石、福井・松平家32万石、岡山・池田家31.5万石までが30万石以上の大名


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1: 原稿用紙(関西地方) 投稿日:2010/04/11(日) 18:07:34.32
加賀藩勤皇派、竜馬と眠る 京都霊山 安達幸之助らの墓 野々市の松田さん確認

坂本竜馬の墓がある京都霊山(りょうぜん)護国神社(京都市東山区)の霊山に、加賀藩勤皇派志士として幕末に活躍した安達幸之助をはじめ加賀藩ゆかりの3人の墓があることを、野々市町三納の真言宗長幸寺住職、

松田清幸さん(63)が4日までに確認した。NHK大河ドラマ「龍馬伝」などで幕末から明治維新期への関心が高まる中、加賀藩と勤皇派のつながりを示すとして注目される。

 松田さんの先祖である宮永良蔵は、南砺市(旧福光町)出身の医者で、幕末に大坂に「適塾」を開いた蘭方医緒方洪庵(こうあん)らと親交を深めた。

 他藩の勤皇派志士と通じ、新選組に捕らえられ、35歳で亡くなった良蔵の墓が同霊山にあることから、松田さんは9年前から定期的に墓参に訪れている。

 この間、松田さんは安達幸之助の墓と、京都にいた長州藩などの勤皇派志士と加賀藩勤皇派との連絡役などを務めたとされる医者駒井躋庵(せいあん)の墓も確認した。

 幸之助は、近代軍制の創設者大村益次郎に西洋兵学を学び、加賀藩の壮猶(そうゆう)館の教師を務めた。1869(明治2)年、京都で大村と会談中に刺客に襲われ、死亡した。

 安達家の菩提寺(ぼだいじ)である静明(じょうみょう)寺=金沢市材木町=の大橋俊幸住職によると、同寺の安達家の墓には幸之助が亡くなった後、妻「安」が遺髪を納めたと伝えられているという。

 大橋住職は「幸之助の亡きがらは京都の方にあるらしいが、はっきりしたことは分からない」と話している。

 松田さんは「竜馬の墓を訪ねることがあったら、ふるさとを思いながら時代を変えようと奔走した先祖たちの墓にも立ち寄ってほしい」と話した。

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